瞳の初恋日記-4
6.
下見会は、盛況のうちにつつがなく終了した。画壇のお偉方はあまり来なかったが、メディアと画学生らしい若者が多勢来てくれた。
閉会の時間が来ると、雅彦、千絵子、瞳は残り物のシャンペンとワインを囲んで、テーブルに集まった。
「皆さん、今日は有難う。お陰さまで盛会になりました。皆さんのお陰です」
「雅彦さん、お手伝いをさせていただいて、こちらこそ有難うございます。明日からも頑張ります」
「お兄ちゃん、瞳さんに手伝ってもらってよかったねえ。お兄ちゃんも私も日本の様子がまったく分からないもんだから。これからもよろしくお願いします」
下見会が盛況に終わったことで、明日からの本番に弾みがついた。メディアも大きく取り上げてくれるだろう。
「瞳ちゃん、今日はどちらへお泊りですか」
「実家の近くにアトリエを建てて住んでいるんです。帰っても誰もいないし、最近はこのあたりに出ることも少ないので、今日はどこか手近なホテルにでも泊まって、明日は一寸ショッピングでもと思っていますの」
「それだったら僕の泊まってるところ聞いてあげましょうか。今日はもう来客もないと思うので、後は妹に頼んでご一緒しますよ」
「瞳さん、そうしなさいよ」と千絵子も奨める。
「あら、よろしいんですか。助かりますわ」
雅彦はホテルに電話をすると、同じフロアに瞳の部屋を取った。
小伝馬町のホテルに着くと、レセプションでキーを受取り、勝手知ったエレベーター・ホールへ、瞳をエスコートした。
エレベーターの扉が開くと、
「もしよろしかったら、もう少しお話しできますか」と、瞳を誘った。
「僕の部屋にいらっしゃい。冷蔵庫に何か入ってるはずですよ」
7.
さほど広くないシングル・ルームの、コーヒー・テーブルを挟んで、雅彦は、瞳に一つしかない椅子を勧め、自分はベッドに腰をかけた。
「ジントニックでも、お作りしましょうか」
「ええ、お願いします」
瞳は、雅彦の差し出すグラスを受け取ると、軽く差し上げて、乾杯のポーズを取った。
「今日は、有難うございました。瞳ちゃんに来て貰って、本当に嬉しいですよ」
「雅彦さんはまた、随分と思い切ったことをされて、それもご成功をされて私も嬉しいですわ」
「まあ、食うや食わずの下積み生活でやってきて、今度は忙しくて自分の時間が持てません。何が良いのか分かりません」
「未だお一人なんですの」
「瞳ちゃんみたいな人と会えなかったからねぇ」
「アラ、お上手なこと。瞳、早く雅彦さんとお会いしたかったですわ。
昔、雅彦さんに接吻されて、妊娠したと思い込んで、雅彦さんのお嫁さんにして欲しいと本気で思ったことがあるんです。笑ってください」
「そのことは妹から聞きました。瞳さんもご結婚は未だですよね」
瞳は、酔いの回った頭で、何を言っているのか自分でもよく分からないが、この際、普段思っていることをぶちまけたい衝動に駆られていた。
心の動揺を隠すように、氷の融けたジントニックを煽ると、哀願するように雅彦の目を見据えた。
雅彦は、テーブルに置いた瞳の手を取った。
瞳は、視線を逸らさずに、雅彦を見つめている。
雅彦は、両手に瞳の手を挟むと、一本一本赤子をあやすように、指を揉みほぐす。
「瞳ちゃん」
瞳は、視線を雅彦に合わせたまま、雅彦のなすがままに任せている。
雅彦は、十本の指を、丁寧に揉み終えると、上体を延ばして、頬にあてた。
「瞳ちゃんに、会いたかったんだよ。今度の東京の個展も、実は瞳ちゃんに会いたくて計画をしたんだ」
頬ずりをしていた手のひらに、唇を合わせる。生命線の上を、唇が滑ると、ぴくっと瞳の腕が震えた。