修行始まる-3
「あい、わかりました。先生は『お満は特別であるぞ。何しろ剣の修業は初めてだから、この場ではなく、師が一対一で手取り腰とり、いや違う、手取り尻とり、うひひ、いやまた違うた、手取り足取じゃ、うひひ、足も良いのう、とにかく懇切丁寧に個人指導いたすぞ。うひひ』と仰いました」
頭の軽いお満は瓶之真から聞いた言葉を、そのまま一言一句を大きな声でお浚いした。
これは子供の頃からの習性で、母親のお敏に『本当にわかったかどうか、母が今言った言葉を大きな声で言ってみなされ』と言われ続けていたからだ。
その厳格だったお敏は、いまだに絶頂の衝撃でお満の脳内で気を失っている。お敏が気を失っていなかったら【お満、よくできました】と褒めて貰えるほど完璧に言えたお満だった。
「わっ、ば、莫迦!」
「それと先生は…、うっ、うううう」
慌てた瓶之真はお満の可愛い口を抑えた。何故なら『朝まで寝かさないぞう、うひひひ』の台詞を喋ろうとしたからだったが、時は既に遅し。
道場に蔓延する変な雰囲気を察し、瓶之真は恐る恐る門弟達の方を見た。案の定、斜に構えた門弟達がどんよりした目で自分を見ていた。
「せんせ―、どういうことですか―、我ら全員、初心者の時にそんな稽古はございませんでしたよ―。最初から皆と一緒に稽古してましたよ―」
半作務持次郎が低く単調な声色で師に異を唱えた。他の門弟達も「そうだそうだ!」と口々に和した。
「うっ、うぬぬぬ…」
言葉と共に門弟達のビシビシと厳しい視線を受け、瓶之真は言葉に詰まった。この状況では流石の瓶之真も、お満の存在を隠したまま、コッソリと稽古を付ける事は諦めざるを得ない。
「じょ、冗談じゃないですか〜、皆が真剣な目でお満を見ていたから、からかっただけじゃないですか〜。持次郎も皆も、まんまと乗せられちゃたね〜。わは、わはは、わははは」
今まで一度も言った事の無い師の冗談に、門弟達一同は戸惑いを覚えた。明らかに師の嘘に気付いていたが、とにかく可愛いお満と一緒に稽古ができそうなので、師の渇いた笑いに付き合う事にした。
「や、やっぱり〜、は、はは、せんせ〜って、おもしれ〜、は、はは、はははははは」
一連の流れを冷静に分析していた竿之介は、師弟の目が全然笑っていない事に気付いていたが、要領がいいので周りを刺激しないように顔を引きつらせて一緒に笑った。
「えへ(ヒク)、えへへ(ヒクヒク)、えへへへへへ(ヒクヒクヒクヒクヒク)」
お満は初めての剣の修行に緊張していた。道場に入る前は『少し怖い』と思っていたが、師弟の楽しそうな雰囲気に心がほぐれ、周りの異常な雰囲気を気にせずに笑いだした。
「お〜ほっほっほ、お〜ほっほっほっほっほっほっ」
この道場の中で、心から楽しそうに笑っているのはお満だけだった。
ハハハハ………
渇いた笑い声は長くは続かず、潮が引くように治まり、道場はしーんとなった。
師が心なしか苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、門弟達はそっぽを向いて気付かないふりをした。
その様子に「ちっ!」と軽く舌打ちをした瓶之真は、お満を門弟達に紹介した。
「え〜、これは竿之介の姉のお満である。事情によりこの姉弟を我が道場で預かる事になった。しかし、この者達には厳しい特別な目的が有るため、和気あいあいとした事は不要である。そんな雰囲気に染まれば2人の目的は遠のき、強いては2人のためにならず。皆の者、それをわきまえて稽古に励むように」
それでも『特別な事情』が有ることを前提にすることで、お満に余り関わらないように釘を刺す事は忘れなかった。
「せ、先生、その『特別な目的』とは何でしょうか?」
師のやんわりと『仲良くするな』という指示に、持次郎は納得できなかった。
「こ、個人情報である」
「え〜、何それ〜?そんな言葉聞いた事ありませんよ〜」
「たわけっ!わきまえろ持次郎!これはキサマの分を超えた事である」
「は、はい」
突然キレだした師に、門弟たる持次郎は頷くしか無かった。