地獄へ道連れ 1-1
野原の中央は、ひどい有様になっていた。
広範囲の地面が崩れ落ち、底知れぬ暗く巨大な穴が口を開けている。ときに、地底で遺跡が自然に大きく崩れた結果、こういう現象が起こることがあった。
大騒ぎにはなるが、幸いにも地底の奥底に住む生物は地上を嫌うらしく、穴から這い上がってくるのは極少数だ。
しかし、今夜のこれは、自然現象などではなかった。
地底から隆起した数十本もの鉱石木が、極太のねじれた身体を絡み合わせ、巨大な鳥籠のように穴へ覆いかぶさっている。
「うおっ、マジですかー」
ドミニク・ローアンは十騎の部下とともに、慎重に馬を歩かせて、鳥籠めいた鉱石木の要塞へと近づいた。
はるか西の国で、暗殺者として生まれ育った彼は、今では組織内でもかなりの地位を得て、自由きままに仕事をこなしながら、世界を旅することもできるようになっていた。
吸血鬼と手を組んだのも、キルラクルシュというものに、興味を引かれたからだ。
もし吸血鬼たちが彼女を手に入れた後、再びどこかの国を支配しようと、ドミニクの知るところではない。
報酬はきちんともらった。あとは伝説の女吸血鬼をこの目で見て、好奇心を満足させてくれればいい。
「……ありゃま」
ドミニクがふと頭上を見上げて眼を凝らすと、曲がりくねった鉱石木の高い部分へ、見覚えのある姿が引っかかっていた。
カンテラをかざせば、やはりクロッカスだ。だらりと下がった九尾は、全てが真っ白くなっていた。
「……せっかく、一つは残しといたんですがねー」
どうやら吸血鬼たちが、クロッカスを人質にする計画は、失敗したようだ。
まぁ、こんな予感はしていた。あの男が人質に甘んじるわけがない。
―― 俺に殺られるなんて、兄さんはマジで、腑抜けちまったんですねー。
兄といっても、魔物のクロッカスと人間のドミニクに、本当の血縁などない。いわゆる絆でつながった義兄弟というやつだ。
裏切ったり裏切られたりは日常茶飯事の、過酷な暗殺集団の中で、唯一の信頼関係である。
しかし、それだって絶対ではない。
弟分が兄貴分を殺す下克上だって、たまには起こるし、その逆もまたしかりだ。ようは、本当に信じられるものなど、何もない。
特に、暗殺組織から強引に抜けたクロッカスを、旧知のよしみで呼び出し、騙しうちにしたところで、なんの罪悪感も抱かなかった。
むしろ、苛立ちさえ覚えたほどだ。
昔、俺の憧れたアンタはどこに行っちまった?
クソつまんねぇ街の店主で満足してる、アンタの抜け殻なんざ、見たくねーんですよ。
そんならいっそ、マジで死んじまえ。
「ぐっ!?」
一瞬、鋭い夜風が吹き抜けたと思うと、ドミニクの背後でくぐもった悲鳴があがった。
ドミニクがとっさに腰の剣を抜いて振り返ると、すでに部下たち全員の喉が切り裂かれ、血の噴水をあげて、馬から転落していくところだった。
「ったく。お前だから信用したんだが、あそこに居続ける時点で腐ってると気づくべきだった。高い勉強代だ。大事な命を|三回《・・・》も消費しちまったぜ」
ドミニクの耳元で、低い中年男の声が囁く。いつの間にか、馬の後ろ側に飛び乗っていた男の声は、もうこの世で聞くはずのないものだった。
ドミニクのうなじに、ブスリと鋭い爪が刺さった。
刺されているのに、不思議なことに痛みはまるで感じない。だが、身体中が強張り、指一本動けなかった。動かせば死ぬのを知っていた。
この光景を、幼いころから何百回も見てきたのだから。
「ハ……兄さん、九尾は真っ白のはずじゃ?」
全身に冷や汗を流しながら、ドミニクは引きつった笑みを浮かべた。
背後でクロッカスが喉を鳴らして笑う。獲物にトドメを刺す寸前の、残酷な猫の笑いだ。
「奥の手はいつでも隠しもっておけと、一番に教えただろう? 人間のお前は、一回こっきりなんだから、命は大事にしろってな」
ツプリと、爪がわずかに深く押し込まれた。
「……それを俺に消させやがって。バカが」
目視できないほどの速さで、九尾ネコのもう片手がドミニクを抱え込むように、前面へと回される。
鋭く伸びた爪に喉笛を切り裂かれる瞬間、ようやく激痛が走った。
ドミニクは後ろ向きに落馬しながら、冷ややかな眼をした青紫の九尾ネコを見上げる。
激レアな雄ネコの魔物。
あの腐りきった場所で、ドミニクに生きるため術を教えてくれた兄貴分。
誰にでも人当たりよく、誰よりも冷酷だった、『笑顔で挨拶しながら、相手の喉を切り裂ける男』。
憧れていた。いなくなったのが耐えられなくて、それなら自分がなろうと思ったほど。
―― なぁんだ。兄さん。アンタ、ぬけがらじゃなくて、まだ、ちゃーんと、いきてたじゃないですか。
ああ、よかった……。
切り裂かれた器官から、ゴポリと空気の抜ける音がする。
声が出ないのが残念だった。
―― さきに、じごくで、まってます……アンタなら、ぜったい、きてくれるでしょ……。