狼と七人の吸血鬼-1
広場を後にしたディキシスとレムナは、まだ人で賑わう市街地を歩いていた。
もう時刻は夜の十時。
家路を急ぐ人々も、星祭りを締めくくる花火が上がると、思わず足を止めて、広場の空を振り仰ぐ。
本音を言えば、ディキシスは広場を振り返りたくもなかったが、レムナが花火を楽しみにしていたのを思い出して歩みを止めた。
レムナが夜空を仰ぎ、感嘆の溜め息を漏らす。
夜の市街地を昼間のように照らした花火は、すぐにきらめきを地上へ落として終わった。
「綺麗だったね」
「そうだな」
ディキシスは頷く。
はしゃぐレムナに返した自分の声は、舌打ちしたくなるほど無感動で無愛想だった。いつだって本当は、もう少し温かみのある言葉をかけたいと思っているのだが。
昔はもっと、普通に話せて笑えていたはずなのに、いつのまにかすっかり、やりかたを忘れてしまった。
華やかな祭りや花火を見ても、ディキシスの心は、腐って干からびかけた泥沼のように澱んだままだ。
「ディキシス……本当に大丈夫? 真っ青だよ?」
レムナの黄色い瞳が、おずおずとディキシスを見上げる。
遠慮がちに声をかける彼女の短い髪を、無言で軽く撫でた。きっと自分は今、いつもより輪をかけて酷い顔つきをしているのだろう。
愛用している暗緑色の外套は、隠しポケットも多く便利だが、この季節になると、さすがに少し暑い。だが、背中や首筋が汗でじっとりと湿っているのは、ラクシュの顔を見たからだ。
ディキシスが必死で探している女。
思い出しただけで身震いするほど憎悪している吸血鬼。
キルラクルシュと、彼女は瓜二つの顔をしていた。
「……気にするな」
そうだ。気にするな。人違いだったじゃないかと、ディキシスは必死で自分へ言い聞かせる。
背格好は似ていても、髪の色はまったく違うし、何よりも血肉が食べられない吸血鬼などいない。その時点で、吸血鬼の定義から外れてしまうではないか。
それにラクシュは、とても風変わりで理解しがたい部分はあっても、どこか好感を持てる相手だった。
―― 彼女が姉の仇であるはずは……何万もの人間を虫けら同然に殺した、悪逆非道な女吸血鬼のはずはない。
十二年前。
ディキシスのたった一人の肉親である姉は、吸血鬼へ生贄の供物として差し出されて死に、ディキシスも殺されかけたあげく、赤い泉に落ちて全身を焼け溶かされた。
本当ならば彼も、そこで死んでいたはずだった。
だが、ディキシスは虫の息になりながらも、泉の底へ……鉱石木に囲まれた不思議な地底の空間まで、かろうじて生きたまま着いたのだ。
そして『泉の番人』を名乗る奇妙な人物に治療をされ、命を救われた。
性別も年齢もはっきりしない番人に、ディキシスは魔物の泉を壊してくれと訴えたが、聞き入れられなかった。
吸血鬼への供物を建前に民から血税を搾り取り、供物の選抜までも不平等に行っていたラドベルジュ王家と、なによりの元凶である女吸血鬼キルラクルシュを、ディキシスはどうしても許せなかった。
すると番人は、泉を壊すことこそ拒否したが、ディキシスの復讐心には興味を持った。
今までまともな教育も受けず、剣の握り方さえも知らなかった貧相な少年が、はたして王家と最強の女吸血鬼に、どこまで立ち向かえるか。
正義感ではなく好奇心から、番人は協力を申し出てくれた。
ディキシスの身体は何度も手術を施され、人の限界を超える力を与えられた。あらゆる知識を習い、戦闘技術を習得した。
そして番人は最後に『武器』として、漆黒の剣と、レムナをくれたのだ。
彼女は普通のハーピーと違い、闇夜でもよく目が見え、身体能力も各段に引き上げられている。
だが、番人がレムナを寄越した本当の理由に、ディキシスは薄々気づいていた。
五年を共に暮らした番人は、ディキシスの致命的な弱点は、精神的な弱さだと判断したのだろう。
事実、数ヶ月前に黒い森の吸血鬼たちを壊滅させた後も、ラドベルジュ王を殺害した後も、ディキシスは言いようのない虚無感に押し潰される寸前だった。
誰を殺しても何をしても、姉は帰ってこないのだと、相手の命を奪うたびに思い知らされた。
それでも復讐を止めてしまえば、それこそ今のディキシスを支えるものは、何もなくなる。
黒い森で殺したキルラクルシュを、一見は似ている偽者と気づいた後も、レムナが傍にいて励ましてくれなければ、きっともう剣を取れなくなっていた。