彼の涙-6
彼女と遊び終え、すっかり満足の僕は、快調に居間のドアを開けた。すると母さんが電話をしている所を目にして。
「はい、はいっ!分かりました、すぐに行きます」
話を終え、深い溜息と共に受話器を置く母さんに近寄り話しかける。
「どうしたの?そんな深刻な顔して」
「絆!?」
僕の顔を見るや否や、目をパッと見開き。そして一度冷静さを取り戻し、僕の肩をそっと
掴み、衝撃の事実を口にする。
「落ち着いて聞いて、さっき叔父さんの出張先から電話があってね。……急に胸を押さえ
倒れて、急いで病院に運ばれたんだけど、治療の甲斐なく、亡くなったって。」
えっ?
「今、お父さんに電話して、一緒に立ち会うつもりだけど、アンタも来るでしょ?だったら早く、支度して」
母さんの忙しそうな声がまともに聞き取れない
誰が亡くなったって?
昨日の、叔父さんとのやり取りを、鮮明に思い出しフラッシュバックする。
彼が亡くなった?、何故、昨日まであんなに元気だったのに。そりゃー癌をわずわり時より苦しそうに胸を押さえていたけど、だからって……。
「きずな、絆ぁ!」
「!!」
母さんのキツイ口調で我に返る。
「ちょっと、聞いてる?明日には通夜になるからアンタも、ちょっとぉ!」
話に最後まで耳を傾ける自信は無く、僕は耐え切れず階段を勢い良く駆け上がった。
そんな、そんなぁ!
信じない、信じたくない、でも。
叔父さんの眠る、病院へは結局、母さん父さんいずみの3人だけで行った。
教室は、あいも変わらず喋り声で賑わっている、僕の心境も知らず。
椅子から腰をあげる気力も無く、先ほどから穴が開くほどに自身の机に視線を落とし。
「杏、長谷川君、どうしたの?昨日楽しくデートしたんでしょ?」
「そうだよ、帰りだって絵の話をして盛り上がったし。」
杏と、御園さんの視線がチクチクする。
黒服に身を包んだ大人達が、着々と行事を進め。葬儀に足を運んだ人は思った以上に多く
主に故人と年齢の近い男性が、席に着き、顔を歪め、彼に生前とても良くしてくれてハンカチを手に泣きじゃくる女性達も。
母さんはこんな時でも涙一つ浮かべず、関係者に頭を下げたり、後の食事に向けて女中さん達と台所へ向かい、その横顔からうっすらと目が赤くなっていて。父さんは喪主として
の業務に追われ、その表情は何処かやつれていて。隣で、先ほどから生気を吸い取られたように意味も無く、前の椅子を見つめるいずみ。
「叔父さん、どうしてよ、こんな急過ぎるよ。」
「いずみ」
普段、口の減らない妹が、この日はとても大人しくそして弱弱しく、彼女もまた僕と同じ気持ちのようで。僕は優しく彼女の震える肩を掴み、一瞬驚き、こちらを振り向くも理解し、僕の体に身を寄せ、甘え。
夜もますます沈み、事情があってここで帰る参加者、部屋で食事をする残った参加者。僕はそんな賑わう部屋を他所に、一人静まり返った叔父さんの眠る部屋に居た。
「叔父さん」
顔を上げ、遺影を見つめる。その表情は昨日までの豪快な暖かい表情と変わらず。
こんな事って、昨日約束したばかりじゃないか、また絵を見てもらうって、何時か個展を立てて、叔父さんをお客第一号にするって約束したのに。
ふいに涙が出て、ボー然と叔父さんの笑った顔を見つめていると、向こうから中年女性の
声が聞こえる。
「普段は、持病を抱えている何て思えないほど元気に振舞ってたのに」
「でも病には結局勝てなかったのよね、何せ癌だし」
彼女達の言葉に、何処かハッとする。
死
人間誰もが何時かは訪れる出来事
だがそれはほんとずっとずーっと先の事。
よほどの事が無い限り、そして僕はそのよほどが当てはまり。
生命が途絶えれば何も感じない、何も出来ない、ただただひたすら、無、と化す。
二十歳を過ぎた自分の世界はもう存在しない。大人になってやりたい事も沢山あった。
お酒は、持病に関わらずあんまり自信は無く、ただ免許は取って見たい、普通免許を取得し、杏と遠くへドライブに行きたい。
想い描けば描くほど夢は広がる、そしてその願いは決して叶わない事も知っている。
そっか、僕は出来ないんだ、叶わないんだ、やりたい事も出来ず。
昨日、母さんが言った言葉の意味が解った気がした。
僕は、もうじき訪れる、死、を軽く見ていた。
そっか
僕は
死ぬんだ
目の前に居る、この叔父さんのように
何だか急に気力が一気に消えうせた。
そんな事も解らず、昨日は、杏とあれだけ沢山盛り上がっていた、何て。