第二話 黒相手-2
十日あまり経った日。未の刻(午後二時頃)。歓八は豪丸屋の贅を尽くした引付部屋で酒席に侍り、上客数名を 相手にしていた。もてなす面々は城勤めのお武家が二名、異人が一名。普通、こうした饗応は夜に行われるものだが今日は異例だった。歓八は ひょうきんな踊りを見せながら、上座で豪華な着物に身を包み、つんとすまして座っている霧橋花魁の様子をうかがい、同時に外つ国の男を観 察していた。御上から貸与されたであろう着物からは浅黒さを通り越し漆黒といってもいいほどの肌がのぞき、頭髪は下の毛をさらにきつく縮 れさせたような感じ。あぐらをかくと隣席まではみ出す膝は尋常でない脚の長さを示していた。そんな風貌に「こりゃあ驚いた。両国の見世物 小屋でもお目にかかれない異物だわい」幇間は心の中で軽く驚倒していた。が、にこやかな顔で霧橋の前に座り、
「花魁、本日は特別な客人がいらしてます。そこでお酒も格別な伊丹の銘酒、剣菱でござります。ささ、どうぞ一 献」
勧めたが、霧橋は櫛笄で飾り立てられた伊達兵庫の髷をぐっと反らして視線を外し、盃も取らなかった。そこで歓 八は軽やかに下座へ身を運び、
「ささ、異国の旦那、きゅーっといっておくんなさい」
言葉が通じず、うちとけていない黒い客に酒を勧めた。そうしながら、昨夜、霧橋が言ったことを思い出してい た。
「御上が異人をこの吉原に招くんだそうだ。長崎から来た一行さ。で、その中で一等偉い客を吉原一の廓『鶴松 屋』が、次に偉いのを古株の『白扇楼』が、毛唐の下っ端を繁盛している『寿屋』が受け入れるんだと。そうして、うちにやってくるのは下っ 端以下のやつってんだから頭にくるじゃないか」
さかんに息巻いていたが、お城からは法外な金子(きんす)が出るからと遣り手の鷹野が豪丸屋の顔である霧橋を なだめていた。
酒 宴も終盤となり、歓八が十八番である猫の形態模写を披露すると、それまで、さほど楽しい様子でもなかった黒い異人が大いに興味を示した。 幇間が四つんばいで背を丸め猫の威嚇を演じると笑い声もあげた。そうして雰囲気がぐっとよくなった頃合いを見て、遣り手が二名のお武家を 別の部屋へ案内し、店の若い者が手早く酒や台の物(仕出し屋から取り寄せた料理)を下げ、幇間もこの場をお払い箱になった。そうして、 座ったままの花魁と黒い客だけが残った。やがて、霧橋が、すっと立ち上がる。前で結んだ豪奢な帯が重たげに揺れる。
「ぬしさん。さあ、こちらの間へお入りなんし」
さきほどの、つんとした様子とは打って変わった優しい声を異人にかけた。が、言葉の通じない相手は腰を上げよ うとしない。そこで霧橋はそっとすり寄り、黒い手をやんわり握って立ち上がらせた。普通、初めて会った客を奥の間に通すことはなく、二回 目でもだめ。三度目の登楼でようやく肌を許すのが吉原でのならいだったが、今宵は別格のようだった。