約束は守るためにある-2
キルラクルシュは、黙って中庭の追いかけっこを見ていた。
少年は供物になったのに、約束を破るのは良くないと思った。
『……?』
しかしふと、中庭を見渡して、妙なことに気づいた。
―― じゅう……いち?
あの少年を入れると、何度数えても人間の数は十一人。
一人、多いのだ。
それを仲間に尋ねると、少年は本当の供物ではないと教えられた。供物になった姉の身代わりになろうと、荷物に忍び込んでいたのだという。
『わざわざ供物を増やしてくれるなど、愚かで可愛い人間だ。気にするな、キルラクルシュ。姉の方はとっくに死んだし、あれもすぐに後を追う』
そういった仲間に、キルラクルシュは首をふった。
『……だめ。返そう』
喜んで差し出していると思ったから、受けとっていたのだ。
姉の身代わりになることが少年の望みだったのなら、そうしてあげたかった。でも、姉は死んでしまったらしい。
それなら、彼がここにいる理由はなにもない。
『お、おいっ!?』
驚く仲間を残し、キルラクルシュは滑るように中庭を走りはじめた。
少年はすでに中庭を出て、小道を駆け出している。その先は、吸血鬼たちの産まれ出る赤い泉のある場所だった。
月光の下に無数のスズランが咲き乱れ、十数個ある丸い小さな泉は、乳白色の石に縁取られて不透明な赤い水をたたえていた。
少年は泉の間に敷かれた石の道を、今にも倒れてしまいそうな足取りで、ふらつきながら走っている。
キルラクルシュは、やすやすと少年との距離を縮めた。赤褐色の汚れた短い髪が、すぐ目の前で揺れている。
―― 心配ないよ。君は、ちゃんと返してあげるから。
そう呼びかけたが、ボソボソとした小声にしかならず、少年にきちんと届かなかったらしい。
少年が走りながら振り返り、間近に迫ったキルラクルシュを見て、夕陽色の瞳に恐怖がいっそう濃くなった。
―― 止まって。そんなによろけて走ったら、危ないよ。泉に落ちたら……
キルラクルシュは少年へ手を伸ばしたが、少年は身体をひねって避け、勢い余って泉に飛び込んでしまった。
水しぶきをあげて、赤いとろみのある水が少年を飲み、じゅうじゅうと白煙が上がる。
泉の水に触れて無事な者は、そこから産まれた者だけだ。
魔物ですら、自身の産まれた以外の泉に触れれば、皮膚が焼け爛れてしまう。
赤い泉の水は、すぐさま少年を焼き溶かし始め、彼の口から苦痛の悲鳴と、血なのか泉の水なのかもわからない赤が、吹き上がった。
少年は咽こみ、何度も赤い水を口から噴き上げながら、鼓膜をつんざくような声で叫んだ。
『ギ、キルラ、グルシュゥゥ!!! ガッ……おまえ、がぁっ!!』
すでにもう顔全体が焼け爛れて、目も塞がり、口元も溶けて裂けて焼けて……。
喉からあがる声も、やっと聞き取れるほどの酷い声音だ。
『お、お前ざえ、いなければ……っ!! 生贄、制度なんがぁっ! 出来なが……っだ!!』
その絶叫を最後に、少年は沈んだ。
泉の表面はすぐに静かになり、不透明な赤い水の中は、もう何も見えなかった。