星に願いを -1
大事件を報じた新聞が届けられてから、一ヶ月と少しが経過していた。
しばらくその話題で盛り上がっていた人々も、次の新聞が発行されれば、新たな話題に興味を移していく。
『ラドベルジュ国王殺害の二人は、国境で兵に追われた際に滝つぼへ落ちて行方不明。状況証言などから、共に死亡したと思われる……』
社会面の片隅に、そんな記事が小さく載っていたが、名も知れぬ逃亡犯の末路よりも、首都の大富豪が庶民女性を娶った話の方が、ずっと人々の関心を集めた。
用心のために組まれた討伐隊は、もっと大きな都市を中心に活動しているが、特に成果を上げられずにいるそうだ。
アーウェンがもっとも心配していた、ラクシュの旧知である吸血鬼たちも現れず、日々は平穏に過ぎていく。
***
よく晴れ渡った夜空には、煌く無数の星が、美しい光の河を作り上げている。
「いい星祭りの夜になりましたね」
アーウェンは天に煌く星の河を見上げて、人波にはぐれないよう、隣を歩くラクシュの手をしっかり握る。
今夜の街は、昼よりも賑わっていた。
星祭りは、空に住む引き裂かれた星の夫婦が、星の川を渡って年に一度きりの逢瀬をする夜だと言われている。
この夜が雨だと、二人はまた一年待たなくてはならない。
夜空が晴れると、愛しい相手に会えた星の夫婦は大喜びし、地上にも喜びの祝福を分け与えようと、人々の願い事を叶えてくれるそうなのだ。
街の広場には星祭を祝うために、ツル草を編んで作った大きな網のテントが設置されていた。願い事は長方形の紙に書いて、この網に吊るすのだ。
網の材料であるツル草は、野山でも石畳の隙間でも僅かな隙間さえあれば、どこにでもすぐ芽を出すのだ。しまいには太く硬化して鉱石木となり、家屋を破損してしまうのだが、丈夫な上に無料で手軽に入手できるので、こういったものを作るには重宝された。
松明の明かりに照らされたツル草網には、遠目でもわかるほど、すでに色とりどりの紙片が括り付けられていた。
いつからこの風習ができたのか知らないが、多くの国で人々は、星祭の夜に願い事の紙札を下げる。
迷信ではあっても、奇跡のように美しい満天の星河を見れば、その加護を信じたくなるものだ。
ただし、星祭りの願い事には、いくつかの制約があった。
まず、願いは自身に関する事に限られる。さらに札には、自分の名前を書かなくてはならなかった。そして、皆と同じ網に吊るす札は、当然ながらそれだけ不特定多数の目に晒される。
結果、うっかり切実で露骨な願望を書いてしまい、それを知り合いに見られるという羞恥プレイを避けようと、たいていの大人は寸前で我に返り、当たり障りのない願いを書いてお茶を濁すのだった。
白い砂を敷き詰めた広場には、若い恋人たちが多かったが、親に連れられた子どもたちも、大喜びではしゃぎまわっていた。なにしろ、普段ならとっくに眠っていなければいけない時間なのに、堂々と夜更かしができる貴重な夜だ。
屋台では子どもたちの大好きなリンゴ飴やポップコーンが売られ、ふわふわの雲のような綿飴や、星の形をした金平糖にも、子どもたちは目を輝かせる。
大人たちは麦酒や葡萄酒を飲み、サンドイッチやソーセージを摘んでいた。
「ん……綺麗」
夜空を見上げてラクシュも頷く。例のアップルグリーンの衣服を着て、ケープもはおっていたが、夜なのでフードは後ろに避けており、白い髪がサラリと揺れる。
すれ違う人が時おり、ラクシュを見て目を丸くする。わざわざ振り返る者もいた。
母親らしい女性に連れられた男の子が、ラクシュを指差して噴出した。
「へんなの!」
少年は母親にすかさず拳骨を食らい、涙目で頭を抑える。母親は軽く頭を下げて、子どもの手を引いてそそくさと立ち去った。
「変?」
ラクシュが首をかしげて、自分の目元を覆うゴーグルに手をやった。
金属縁と革ベルトの無骨なゴーグルは、ラクシュが先日からせっせと造っていたものだ。
左右の目の位置には、発光鉱石を溶かして薄く加工した、淡い緑色の丸レンズがはめ込まれている。
溶かした時点で石の発光はなくなり、やや不透明なレンズは、薄いキャンディーのようにも見えた。
「ん」
ゴーグルの位置を少し直して、ラクシュは満足そうに頷く。
―― ラクシュさん。今のは、位置が変って意味じゃありませんからね。
アーウェンは心の中でツっこんだが、このゴーグルには大賛成だった。
可愛らしい衣服を着た小柄なラクシュに、無骨なゴーグルの取り合わせは、まったく奇妙だ。
しかし、振り返る者のほぼ全てが若い男性で、何か妙な期待を篭めた目でラクシュを見ていたのは、きっと気のせいではない。
ゴーグルで胡乱な目元が隠れてしまう分、本来の整った顔立ちが浮き彫りになり、『眼鏡をとったら美少女』という黄金パターンを、いやおうなしに抱かせるのだろう。
もちろんラクシュは、そんな効果を狙って造ったのではなかった。これをつけるとアーウェンのキラキラが和らぎ、視界が眩んでしまうのを防げるらしいのだ。
いくらアーウェンが自分で鏡を見ても、そんなキラキラはまったく見えないし、他の人に言われたこともないから、その光はラクシュだけ見えるのかもしれない。
とにかくアーウェンとしては、多少は奇異な目で見られても、ラクシュが気分よく自分と出かけてくれる方が嬉しい。
ゴーグルの下の赤い瞳は、他の男が期待するような瞳ではないけれど、澱んだ胡乱な赤い瞳を、アーウェンは心から愛している。