雪苺娘、いかがですか?-1
―― ミルドレンティーヌだ。
昨日、故郷の壊滅と共に、自分でない『キルラクルシュ』が討伐されたと知った時、ラクシュは即座にその名を思い浮かべた。
同じ故郷の泉から生まれた彼女は、キルラクルシュとほぼ同じ背丈で、同じ闇色の髪をもち、顔立ちすらもそっくりだった。
ただ、キルラクルシュの瞳は、赤い沼のように濁り澱んでいたけれど、ミルドレンティーヌの瞳は、宝石さながらに美しく妖艶な光を称えていた。
キルラクルシュは、表情というものを持たず、言葉もろくにしゃべれなかったけれど、ミルドレンティーヌの多彩な表情は、怒りさえも美しく表現した。
彼女の声は皆を魅了し、いつも周囲には仲間が絶えなかった。
ラクシュが故郷を出て行く時も、彼女は惚れ惚れするような美しい笑みを浮かべて、こう告げた。
『安心して。もし人間が襲ってきても、これからは私がキルラクルシュとして追い払うわ。
……だからもう二度と、戻ってこなくていいのよ』
「……」
工房の隅で鉱石を引っ掻いていたラクシュは、過去の記憶から醒めた。
いつのまにか彫り上げていた緑色の鉱石を木箱に入れ、今度は赤い石を手に取る。
手の中でボンヤリと輝く赤い鉱石は、とても綺麗だった。まるでミルドレンティーヌの瞳のようだ。
ラクシュは彼女が好きだった。
仲間だと思われていなかったのは悲しかったけれど。
―― ミルドレンティーヌ……痛かった……よね?
彼女が望んだ身代わりとはいえ、その痛みを思うと、心臓の奥がとても苦しくなった。
***
初夏の夕陽も、ようやく山の向こうに沈んでいく。
一般的なご家庭では夕食の時刻だが、生活時間のずれたアーウェンとラクシュは、おやつ時間だ。
食堂はキッチンと続き部屋で、あまり広くはない。
古い壁紙は落ち着いたセピア色に変色し、中央には飴色のテーブルセットが置かれていた。
「ラクシュさん、おやつですよ」
アーウェンが声をかけると、工房から出てきたラクシュが、いそいそとお気に入りの指定席に腰掛ける。
本日のおやつは、卵抜き麦芽ビスケットだ。今年は近くの森で野生の苺が大豊作で、沢山つくって瓶詰めにした苺ジャムも、テーブルにちゃんと乗っている。
深紅の苺をとろとろ煮詰めた濃厚なジャムは、淡白な味わいのビスケットにつけると三倍美味しくなった。
生成りのエプロンをつけたアーウェンが紅茶を注ぐのを、ラクシュはじっと眺めていたが、不意にぼそっと呟いた。
「裸エプロン」
「……はい?」
アーウェンは危うく茶を溢れさせる寸前で、急いでティーポットの傾きを戻す。
「あのー……今、なんて言いました?」
あまり日常的ではない単語が聞えた気もするが、突発性の難聴でも患ってしまったのだろうか。
ラクシュが口を開き、ゆっくりと動かす。
「裸・エプロン」
―― 聞き間違いじゃなかった。
しかも、セリフをつっかえたんじゃなくて、わざわざ区切って強調された。
アーウェンはギギっと音がしそうな程ぎこちない動作で、握りつぶす寸前だったティーポットを、慎重にテーブルへ置く。
なんとか内なる破壊獣を押さえられたのは、風呂場で行われたラクシュの熱血調教のお陰だろうか。
フラフラとラクシュの向かいに腰を降ろし、テーブルに肘をついて頭をかかえ、深い溜め息をつく。
「……確認しますけど、ラクシュさんは、その言葉の意味を知っていますか?」
「ん」
ラクシュはちょっと得意そうに頷き、暗記した文章でもそらんじるように、たどたどしい言葉で続けた。
「裸エプロン、とは……文字通り、素裸に、エプロン、だけを、つけた姿、で、ある」
そして小首をかしげた。
「あってる?」
「……はい。もう一つ質問です。それ、誰から聞きました?」
だいたい予想はついたが、念のために聞いてみた。
「クロッカス」
「ラクシュさん……もう絶対に一人で、あのエロ猫屋に行っちゃ駄目です」
アーウェンはひきつった笑みを顔にはりつけて、念を押した。
次に猥褻猫に会ったら、尾を一本くらい引きぬいてやる。
おおかた昨日、アーウェンがハーピー少女を送り届けている間にでも、吹き込まれたのだろう。