3.滑落-3
週明け、梨乃は学校に来なかった。翌日、梨乃と普段仲良くしていたギャル友達も二人来なくなった。翌日も、そのまた翌日も来ない。やがて校内に噂が立ち始める。梨乃は出会いカフェに出入して小遣い稼ぎをしていたらしい。最近は高額に目が眩んで、売春までしていたという。半年ほど前から梨乃は暴力団の男に入れあげていて、稼いだ金は殆どその男に貢いでいた。その男は経営に関与している出会いカフェで、梨乃本人にも稼がせつつ、「商品」となる友達を連れて来させていたという。その友達も売春行為を行っていた。それが同時に学校に来なくなった二人だ。
(私もその一人だ)
同級生の中で流れる噂に、いつ自分の名前が上がってくるか、悠花は生きた心地がしなかった。いっそ教師に自分から名乗りでたほうが気が楽になるのではないか。しかしまだ中学生の悠花には、そこまでの決心ができなかった。やがて校内でのゴシップの鮮度が落ちてくるのに反比例するように、「きっと大丈夫」という思いが湧き上がってきた。結局事件は悠花に何ら不利益を発生させることなく収束していった。
悠花はスマホの画面からクローゼットへ視線を移した。奥にはまだあの時のJ女学院の制服が眠っている。結局捨てることができず、一人暮らしを始めるようになってからもずっと保管し続けてきた。
(何で今になって)
数年を過ごすと、あの出来事について思い出すことも少なくなってきていた。クローゼットを整理する時に制服を見かけても、前ほど疚しさや不安を感じなくなった。あの出来事は、人気モデルになった自分にとっては、もう「無かったこと」になったのだ。そう考えるようになっていたのに……。
カラオケボックスで梨乃に淫行を要求した、あのデブキモ男が、一緒にいた悠花がモデルとなって世間に持て囃されているのに気づいてコンタクトを取ってきたに違いなかった。取り合ってはいけない。しかし、あの良識が全く通用しない変態男を無視し続けていると、逆上でもして一体どんな手に出てくるか知れず気が気でなかった。ひょっとしたら公に洗いざらい暴露してしまうのではないか。悠花は金を受け取ってはいない。だが、一緒にいた梨乃が受け取っていたのだ。同罪と言われれば完全に否定することはできない。何よりそんな場所に出入りした事実自体が、人気商売である悠花にとっては致命傷ともなりかねなかった。
事務所に相談しようか。そう考えたが導き出された答えはノーだった。
モデルの中には男性関係をオープンにするだけでなく、有名人との不倫や浮気を売名材料としている者もいたが、事務所が悠花に取っている戦略は、男性関係についてはクリーンなものだった。恋愛は禁止されていない。しかしその恋愛は、世の女性が羨むような、充実したものでなければならなかった。バゼットと付き合っていることは事務所にも伝えており、彼のレベルは事務所の意向にも申し分なかったから、許可が出ているだけである。
10代で今の事務所に所属したときから、プライベートでも良俗に反するようなことは絶対しないよう、ずっと釘を刺されていた。悠花は事務所が今最も力を入れている商材であったが、もし悠花にそのような「汚れた過去」があったとすると事務所はどうするだろう。いくら金を受け取っていない、淫行に応じていないといっても、そのような噂が立つこと自体を嫌う筈である。すでに悠花がモデル界だけでなく、芸能界に確固たる地位を築いている存在であれば、事務所も力を入れて悠花を守護してくれただろう。しかし、今まさにこれから売りだそうとしている段階であれば、噂が立った時点で契約を解消する方向に動きかねないと想像できた。ティーンモデルの頃から、そのようにしてモデル界を去っていった子を見てきたのである。それほどモデルの世界はイメージにうるさいのだ。