3.滑落-2
「また今度、オフが取れたら、そのとき。ホントにごめんなさい」
「もうそんなに謝るなよ。無理しないで。オフが取れないほどの人気モデルになる、今が大事な時期なんだろ? でも頑張りすぎて体調崩したらいけないよ」
車を降りた悠花にバゼットは声をかけた。マンションの入り口をくぐるまで見送ってくれる。オートロックの自動ドア手前で振り返り、BMWへ小さく手を振ると、悠花はマンションへと入っていった。
さほど広くはないが山手線内という立地に内廊下式のマンション。かなりの賃料になるが、もちろん悠花が自分で借りているのではなく、事務所が借りてくれている。悠花が表紙を飾る様なトップモデルでなかったら、事務所もここまでの住宅を手配しようとはしないだろう。
部屋に入り、着替えもメイクも落とさずにラグの上に腰を下ろすと息をついた。まだウソを着いた胸の痛みが残っている。それもこれも──、悠花はスマホを取り出して画面の電源を入れた。メールの受信画面がそのまま表示されている。
『あの写真はいつでも、
ネットに公開できる準備はできているよ。
いちいちメールで、
やりとりするのもじれったいね。
一度直接話したほうがいいんじゃない?
連絡先は、080……』
メールの最後に携帯電話番号が続いている。ついに相手は直接、そしてリアルタイムのコンタクトを求めてきた。
ブログのコメントに記された"Love Affair"の名。あの時、梨乃と醜悪男を残してカラオケボックスを飛び出したあと、店の更衣室に戻り、J女学院の制服をまとったまま、クローゼットにかけてあった自分の制服をカバンに押し込んで店を出た。背後から蛇柄の刺青の男が何かを呼びかけた気がしたが立ち止まることはなかった。何かに追われて逃げるように路地を抜け、上野駅前の雑踏まで戻ると少し冷静になることができた。ふと目線を向けると、偽りの制服のままである自分の姿が大型ファッションビルのガラスドアに映っていた。路上に設けられた喫煙コーナーでタバコを吸っている人々の、制服姿の悠花へ向ける視線を感じる。珍奇の視線を避けるようにファッションビルのトイレに入り、本来の制服姿に戻った。J女学院の制服をどうしようかと思ったが、捨てる場所が思いつかず、持ち帰ってしまった。
家に帰ってからも不安は全く失せなかった。店が梨乃から悠花の所在を聞き出し、制服を取り返しにくるのではないかという不安が一番大きかった。梨乃に連絡を取りたかったが、あのような状況で飛び出してしまっては気不味い。母親にバレないように、一旦クローゼットの奥に制服を隠したが、見つかるのではないかという不安からやはりこれを持っているのは危険に思えて仕方がなかった。
翌日は休日だった。悠花はJ女学院の制服を携え、私服姿で再び御徒町に向かった。これを返して終わりにしよう。そう決意して向かう途中の高速道路の高架下、横断歩道で信号待ちをしている所からあの店のある路地の入り口を眺めると、ワンボックスタイプのパトカーの灯りと何人もの警官、そしてその様子を見守る人だかりが見えた。やがて両側から身柄を抑えられた男が、大声で何やらわめきながら強制的に連れて来られ車に押し込められた。あの蛇柄の刺青の男だった。信号が青になる。悠花はそのまま踵を返して、その場を立ち去った。