(第三章)-7
一週間前… 突然かかってきたタツヤからの懐かしい電話だった。
タツヤは仕事で東京を離れる前にどうしても私に渡したいものがあるという。私はロンドンへ
赴任するというタツヤと久しぶりに空港で再会した。あの頃と変わらない端正な顔立ちが、
ふと私の中を仄かにくすぐった。
彼とプレイを行ったのは、あのときの一度きりだけだった。私は、タツヤとの関係が色濃く染
まっていくのが恐かったのかもしれない。タツヤが欲しいのにタツヤを拒み、ノガミとの気だ
るく果てる先のない情事を繰り返した。
「父が死ぬ前にあなたに渡して欲しいといったものです。どうか受け取ってください…」
空港の喫茶店でタツヤが私に差し出したものは小さな箱だった。私はその箱をゆっくりと開
ける。箱の中には指輪と一枚の写真が入っていた。
「父はあなたとの結婚を考えていました。でも、あなたとつき合っていた頃から、密かに重い
病を患っていました。あなたとの結婚…かなわなかった父の夢でしょうか…」
一枚の写真は、あの湖畔のホテルの庭園に咲いていた冬桜を背景に撮ったノガミと私の写真だ
った。肩を寄せ合ったノガミと私…。 私の瞼の裏がゆるやかに潤み始める。
「…父が舞子という女性を愛していたのか、燿華という女王様を愛していたのかはわかりませ
ん。ただ、死んだ父の最後の言葉は、あなたを今でも愛しているという言葉でした…」
その言葉を聞き、私は胸の中に揺らぐ戸惑いを隠せなかった。
タツヤも私も言葉を発することなく、喫茶店の中の喧騒だけがふたりを包み込み、慌ただしい
人の出入りが私たちの存在を希薄なものにしているかのようだった。
「ぼくは、父がどんな愛をあなたに抱いていたのかわかりません。そして、愛という言葉に戸
惑いを抱き続けているあなたがぼくは好きです。あなたはいつのときもそうなのかもしれない。
逃げ場のない性愛の迷宮へ自分を追い込み、心と性の焦燥にかられて喘ぐ虚しさを知っている。
ぼくにはそれが手に取るようにわかる。なぜって… 父親がそうであったように、ぼくもまた
同じであるからです…」
私はタツヤの視線を避けるように、目の前のコーヒーカップを手にした。
「別の古い写真を見ていただけますか…。死んだ父の書斎の本のあいだに挟んであったもので
す…」と言いながらタツヤはバッグの中からもう一枚の褪せた写真を差し出す。
伸び切った手首を縄で縛られ、全裸で吊るされた若い女性の写真だった。小柄で可愛げな顔を
し、ふくよかな体つきをしたその女性…。そして、背後で黒いブリーフだけを纏った若い男は
鞭を手にしていた…。
「お気づきだと思います。鞭を手にしている男は父です…。そして縛られた女性はぼくの母で
す…」
写真を手にした私の指が微かに震えた。男は確かに若い頃のノガミに間違いなかった。