そうだ 街に行こう-1
カーテンを閉じた暗い部屋に、蠢く人影があった。
「っ、あ……ラクシュ……さ……」
自室の寝台に座ったアーウェンは、恍惚を帯びた声で小さく呻く。
普段、オリーブ色の髪をした人狼の彼は、人間そっくりの姿だ。しかし今は、髪と同色の瞳だけが、普段と少し違っていた。
白目にうつす虹彩は、人狼の彼が非常に興奮している証だ。
「……っふ……」
最愛の人が瞳を潤ませて頬を染め、愛液に濡れた秘所を、自分の雄へこすりつけて強請る……。脳裏に焼きついた艶姿が、否応無しにアーウェンを興奮させる。
柔らかな舌の感触や、雄を締め付ける胎内の熱、蕩けそうな甘い声に吐息の一つまで、ありありと思い出してしまう。
「……ラクシュ……さん……っ」
低い獣のような唸り声と共に、アーウェンは身体を奮わせる。慌てて手ぬぐいをとり、性器から噴出す白濁の汁を受け止めた。
「はぁ……は……」
欲望を吐き出し終えると、昂ぶった興奮がようやく冷めていく。瞳も普通に戻り、アーウェンは汚れた手を拭くと、膝を抱えてガックリと落ち込んだ。
(俺は……また……ラクシュさんを穢して……っ!!)
実のところアーウェンは、もう何年も前から、密かにラクシュを妄想で抱いては、落ち込むのを繰り返していた。
最初の飼い主だった人間は、爛れきった性活を送る有閑貴族だったから、女を抱く姿は何度も見て、だいたいどうやるかも知っていた。
そして、あまりにもその男が嫌いだったからか、アーウェンの目には男女の営みは醜く汚いものとしか写らなかった。
そもそも、全ての魔物は泉から産まれ、いくら身体を重ねようと自分たちでの繁殖は不可能だ。
なのにどうして、性欲と性器を持っているのか、不思議でしかたなかった。
(俺は、絶対にあんなことはしないし、したいとも思わない!!)
……硬く心に決めたその誓いは、ラクシュと出会って数年で、脆くも崩れたわけだ。
しかし、吸血鬼=淫乱 は、常識だが、ラクシュはあらゆる意味で非常識な吸血鬼だ。
人間の血を飲めないという体質もさながら、所構わず欲情もしない。
アーウェンが昔、全裸のラクシュを拒んだのも、ちゃんと覚えているらく、あれからアーウェンの前では袖まくりさえしなくなった。
……もう何度、過去の己を罵ったことか。
そしてアーウェン自身も、抑えきれない恋心を抱きつつも、やつれ続けていく彼女が心配で仕方なく、自分の性欲をぶつけようだなんて、絶対に思えなかった。
それが半月前、『さっさとやっときゃ、万事解決だったのに』という、見も蓋もない事実が判明し、ラクシュもアーウェンの血を飲んで、元気になったわけだが……。
十年近くも想いを寄せていた人を、実際に抱いてしまってから、さらに欲求不満に歯止めが聞かなくなった。
(ラクシュさん、すみません……)
アーウェンは雪白の髪をもつ吸血鬼に、深く心の中で詫びた。そして下衣の乱れを直し、シャツを着る。
胸中はとても重苦しい。
血を飲んだ翌日には、ラクシュはもう、出会った頃と同じくらいまで回復していた。
そして嬉しそうに抱きつかれ、我慢できずにキスしたのが最後。
あれきりラクシュは元気になったものの、アーウェンへの態度は、以前とまったく変わらないのだ。
もしかしてあの時は、飢え死に寸前で理性が飛んでいただけだったのか……とか、考えたくないが、あまりにもアーウェンが下手で嫌気がさしたのか……など、不安になってくる。
「……はぁ」
溜め息をつき、カーテンを開けた。
アーウェンの寝室は二階にあり、南向きで日当たりがいい。
しかし、置かれた家具は大き目のベッドと長持ちだけで、基本的に寝る時しか使わない。
反して、日光の苦手なラクシュは、北側の納屋を改装した寝室兼工房に、一日中篭っている。
窓から見える朝空は、ねずみ色の厚い雲に覆われていた。
ラクシュが昨夜、予測した通りだ。吸血鬼は数日間程度なら、おおまかな天気がわかるらしい。
「ラクシュさん……」
俯き、小さく大好きな名前を呟く。
ラクシュに沢山キスしたいし、また抱きたくてたまらない。
彼女はもう十分にアーウェンを特別扱いしてくれているのに、もっともっと愛されたい。
一体、いつからこんなに欲張りになってしまったのだろう。
彼女が元気になってくれるなら、それだけで良いと思っていたはずなのに……。