そうだ 街に行こう-3
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二人が住む家の周囲には、人の手が入っていない野原が広がり、時おり通る馬車のわだち跡が、その中央を突っ切って街まで続いている。
普段、ラクシュとアーウェンは、昼近くに起きて深夜すぎに眠るという、普通の人間とは中途半端に時間のずれた生活を送っていたが、今日は早くに起きて家を出た。
(……なんかの間違い……ですよ……ね?)
曇り空の下を歩きながら、アーウェンはそっとラクシュの様子を盗み見る。
彼女はいつもと同じ、黒い貫頭衣の膝丈ローブを着て、マントのフードを深く被っている。
いつも素足にスリッパの細い足には、白いソックスと、久しぶりに取り出した革靴を履いていた。
アーウェンの髪と同じ色の靴は、もう十年も前に買ったものだ。しかし、ラクシュは滅多に外へ出ないし、大切に手入れをしていたので、あまり痛んではいない。
無言で静かに歩くラクシュの後ろ姿を、アーウェンは複雑な気持ちで眺めた……。
***
二時間ほど歩き、街についたのは昼の少し前だった。
この街は幾つかの遺跡に近く、訪れる冒険者たちも多い。黄色レンガの敷かれた大通りには宿が並び、武器防具の店も充実している。
魔道具屋も数件あり、ラクシュはその内の一件に品物を卸していた。
『鈴猫屋』の店主は、九尾の猫《ナインテール・キャット》で、魔物が堂々と表通りに店を構えられるのも、この国ならではだ。
ただし、この国でさえも吸血鬼だけは討伐対象となっており、ラクシュの正体を知っているのは、鈴猫屋の店主を含めてわずか数人だ。
ラクシュは混雑している通りをスルスルと進み、アーウェンは遅れないように必死でついていった。
一緒に出かけるなど数年ぶりだが、あいかわらず彼女は、どんなに人ごみでも、まるで無人の道を歩くようにすりぬけていく。
てっきり、鈴猫屋に顔を出すのかと思ったのに、そこも素通りし、ラクシュは無言で淡々と進んで行った。
そして長い通りを端まで歩き、やっと歩みを止める。
「ん……」
クルリと振り向き、アーウェンがいるのを確認して頷いた。
「ラクシュさん……一体どこに行く気……って、ええええ!?」
きびすを返したラクシュは、アーウェンに軽く手招きし、さっさと来た道を戻っていく。
……何をやりたいのか、さっぱりわからない。
結局、ラクシュは大通りを無意味に一往復し、街に入って一番手前にあった食堂の入り口に立った。
例のスープ事件の店とは別の食堂で、そこそこ賑わっている。アーウェンが街に行った時に、よく寄る食堂だった。
大きく開いた戸口からは、肉の焼ける匂いと、賑やかな喧騒が立ち昇っていた。
「……あ、あの……ラクシュさん……?」
ラクシュはさっさと店に入り、ウェイトレスに二人だと手振りで示していた。
「アーウェン……」
また手招きされ、仕方なく店に入る。
「ラクシュさん……この店に来たかったんですか?」
無言で茹で野菜を食べているラクシュに、アーウェンはそっと尋ねた。
アーウェンだって、ここの定食は好きだし、店員も親切な人ばかりだ。ラクシュは野菜しか食べれないと言ったら、特別に野菜だけの定食を作ってくれた。
「ん」
小さく頷くラクシュの声は満足そうで、アーウェンの胸をチクリと刺す。
「そう……ですか」
焼肉の定食は、いつもと全く同じはずなのに、妙に味気なく感じた。
食事を終えて店を出ると、ラクシュはさっさと帰路を辿りはじめた。
数年ぶりの外出は、通りを一往復し、あの店で食事をするのが目的だったようだ。
厚い雲の立ち込める下を、無言でスルスルとラクシュは歩き、アーウェンも無言でついていく。
ラクシュの行動が変わっているのは慣れているが、今日ばかりはどうしても理解できなかったし、深く聞く気分にもなれなかった。
静かな細い道には、ときおり鳥や小動物の姿が見えるだけで、他に人気はない。
家まで半分ほどの場所まで来た頃、ラクシュは唐突に立ち止まって、アーウェンを見上げた。
「アーウェン……楽しくない?」
「……え?」
ローブの袖口から白い手が伸び、スルリとアーウェンの頬に触れる。
「きみは、悲しそう……私、失敗した?」
そう言った抑揚のないラクシュの声も、なんとなく悲しそうだった。
「失敗? いや、あの……」
驚くアーウェンを見上げ、ラクシュは懸命に何かを伝えようとしているらしい。つっかえつっかえの言葉が、その口元から出てくる。
「私……アーウェン、好きだよ……だから、一緒に、お出かけして……アーウェンの、好きなゴハン、食べた……好きな相手とは、そうする、らしい……」
そこまで言うと限界だったらしく、ラクシュは俯いてしまった。
「……は?」
アーウェンは大きく目を見開き、口をパクパク開け閉めする。
「え、ちょっと待ってください……それじゃ、もしかして、これ……」
―― ラクシュさん的に、デ ー ト だった !!???