そうだ 靴を買おう-5
そして旅は続き……
「うわっ! ラクシュさんっ!?」
腰まで水に使ったアーウェンは、赤面してラクシュに背を向ける。
森の中で綺麗な滝つぼを見つけ、夜が開ける前に水浴びをしようという事になったのだ。
「ん?」
ラクシュは首を傾げているのだろう。最近では、あの短い声だけでも、なんとなく彼女の言いたいことが伝わる。
アーウェンは気を使い、わざわざ岩陰の向こうに行ったのに、ラクシュは服を脱ぎさると、平気な顔で近づいてきたのだ。
「私、きみに優しくする。身体、洗ってあげる」
ケロリと言われ、アーウェンは激しく首を振った。
「け、結構です!!」
つい、白い裸身を横目で見てしまい、急いで目を逸らした。
ラクシュは全体的に肉の薄い身体つきで、貧弱と言ってもいいほどなのに、吸血鬼特有の抗いがたい色気を有している。
白い透けるような肌。小ぶりながら形のいい胸の先端は淡いピンク色。艶かしい腰のくびれ。下腹部の茂みは非常に薄く、しかも髪と同じ白なので、女性の秘所が、ほとんど隠れていない。
一方でアーウェンは少年とはいえ、早熟な人狼だ。もう十分に、異性の身体を意識する年頃だった。
(こ、これだから、吸血鬼は……っ!)
喉奥でうなる。
ラクシュに会う前から知ってはいたが、吸血鬼という種族は、基本的に羞恥心が皆無なのだ。
人間を陵辱して血を吸う性質のせいか、彼らにとって性行為は、不特定多数の相手と楽しむもので、そこに気持ちや愛情はないらしい。
その辺りの価値観が、絶望的なほど他の種と違うのだ。
血を吸うと見境なく発情するし、普段から乱交上等、同性ともやり放題。幼女から老人まで、守備範囲も幅広すぎる。
そして、自分たちの価値観こそが標準だと思い込み、欲情すれば多種族も強引に巻き込むから、人間だけでなく他の魔物からも浮いている。
魔物の中ではもっとも脆弱なのに、プライドはやたらと高い。
美貌こそが最も大きな価値とし、美形は何やっても許されると思っているのも、カチンとされる要因だ。
キルラクルシュの武勇だけは、魔物たちから一目置かれているが、基本的に『こっち来んな、陵辱魔!』と、嫌われている。
アーウェンの脳裏に一瞬、女吸血鬼たちに逆輪姦されたことがあるという、男の半人半蛇《ラミア》の顔がよぎった。
あの奴隷店で同じく売られていた彼は、それが強烈なトラウマになって女性恐怖症になり、アーウェンにやたらと迫っていたのだ。
間接的な被害ではあるが、非常に迷惑だったし、男ラミアの脅えぶりから、たとえ絶世の美女でも、陵辱は重罪と思い知った。
「身体くらい、自分で洗えますから! あっち行ってください!」
ほとんど悲鳴のように叫ぶと、ラクシュの立てる水音が止まった。
「ん……」
少し悲しげな声と共に、今度は水音が去っていく。
「あ……」
健全な意見を言っただけで、断じて悪くないと思うのに、ズキズキ心臓が痛んだ。
彼女はアーウェンの身体を金貨で買ったが、虐げたことなど一度もない。最初に鎖を引きちぎってから、ずっと繋いでさえいない。
自分はそれに調子付いて、傲慢になっているのだろうか……。
本来なら、彼女をご主人様と呼び崇め、何でもいう事を聞くベきなのに……。
後ろめたい気分のまま、急いで身体を洗うと、ラクシュはもう風を起こして髪を乾かしていた。
「……あの、さっきは、すみません。……ご主人様」
おずおずと言うと、ラクシュは首をかしげた。
「きみは、私を、そう呼びたい?」
「……え?」
「私は、ラクシュさんが、いい」
そしてラクシュは、何事もなかったようにアーウェンの髪を乾かしだす。
「……ラクシュさん」
「ん?」
「俺も、そう呼びたいです……」
そっと小声で言うと、背後でラクシュが満足そうに頷くのを感じた。
――それから一ヵ月後。
ひたすら森を歩き、険しい山を二つも越え、ようやく目当ての国についた。
この国に向うと言われた時、アーウェンは意外に思わなかった。
古代遺跡が多いくせに、魔物の泉が一つも無いこの国は、世界でも珍しいほど魔物に寛容だ。
人狼と変わった吸血鬼が暮らすには、最適な地だろう。
ラクシュは所持金のほぼ全部を支払って、一軒の空き家を買った。街から少し離れた場所にポツンと建っていた、赤いレンガ造りの家だ。
彼女はここで、得意な魔道具を造って暮らすと言う。
ラクシュの話し方や、奇妙な行動の一画だけ見ると、まるで頭の足りない女のように見えるが、実はとても賢い部分もあるのに、アーウェンは気づいていた。
そうでなけば魔道具など作れないし、旅途中でも彼女は地図や立て札をチラッと一目みただけで、内容をそっくり頭にしまったように覚えていた。
彼女の思慮は、言葉にはならなくとも、ちゃんと深く練りこまれているのだ。
家は古かったが二人で住むには十分な広さで、魔道具造りの工房には最適な納屋もあった。
アーウェンがクモの巣と埃だらけの部屋を眺め、どこから掃除しようかと悩んでいると、ラクシュがボソッと言った。
「アーウェン、心配ないよ。……私、魔道具造って、きみのゴハンを買う」
どうやら所持金が無くなっても、アーウェンをちゃんと養うと言いたいらしい。
だからアーウェンは、まず台所から綺麗にしようと思った。
「じゃあ、ラクシュさんのご飯は、俺がちゃんと作ります」
「……ん」
頷いたラクシュは、無表情なのにとても嬉しそうで、なぜかアーウェンまで嬉しくなってきた。
とても不思議な気分だった。
二ヶ月前は、コイツにだけは買われたくないと思っていたのに、今は……。