プロローグ-2
「あ、大丈夫。次はイチから引き直すから」
スタジオ隅に仮設されている休憩スペース。椅子に座るとミネラルウォーターを開け、リップを乱さないよう飲み口を咥えた。ゆっくりと喉を通しながら、もう一方で携帯を手に取り、美しく彩られた親指を画面に滑らしていると、
「あ、写メ撮ります?」
と、次の撮影の準備をしているメイク担当が声をかけた。
「んー、まぁ、もう少し後でいいかな。撮影入る前に一回アップしたし」
画面を眺めたまま、メイク担当に手のひらを振ってみせる。ブログとSNSを都度更新するのは有名人として、もはや義務のようなものだった。コメントの数が人気のバロメータとも取られてしまう昨今、こういった休憩時間でもチェックは欠かせない。実際、大手の事務所では本人に代わってマネージャーや専門スタッフが更新していることもよくある。悠花は自分のページを見てくれるファンのためにも、自身で更新をかけるように心がけていたため、更新頻度は少なめだが、それでも事あるごとに何かと話題を作ってアップしていた。正直、骨が折れた。
ブログを開くと、前回確認してからの数時間の間に何十ものコメントが付いていた。いずれも今週のグラビアに対するファンの感想コメントだ。
今の大手ファッション誌に移籍してきた頃は、ファンは同年代の女の子が大半だった。だが知名度が出てくると、いわゆるアイドルオタク的な男たちのコメントが混入するようになり、グラビアデビューした今週は、もうその連中のコメントで溢れていた。
悠花にとっては、率直に言うと「キモい」男たちだった。コメントの文章にすら、どこかしら粘着的な感じがする。
来週には何店かの書店で写真集の発売イベントが控えていた。
「マジで寒気がするような連中来ちゃうんですけど…、まぁ、笑顔でお願いします。『心を無にして』って感じかな」
打ち合わせ時に出版社の担当女性が苦笑混じりに言った。グラビア稼業はそういうものなのだ、と割り切り、その類の不快感は或る程度覚悟はしておかなければならないということだ。
思わず少し顔をしかめてしまっているのを自分自身に気づかずに、ページをスクロールしながら、そういった男たちの書き込みを手早く流し読みしていた。最初の数語で「キモい」と感じたら後は読んでいない。
(……!)
どんどんスワイプして流していく文字の中に、鼓動が一つ高鳴る語句が見えた。惰性で流れてしまった画面を慌てて引き戻し、その書き込みを見つける。
『悠花ちゃん写真集発売おめでとう!何年か前に"Love Affair"で見たときもハンパなくカワイかったけどね。あの時のお話、またしたいなぁ』
口調は他の書き込みと一見大差が無く、以降の別のオタクたちのコメントも、特にこれに何か反応しているものはない。
しかし忘れていた──いや、努めて忘れようとしていた過去が、悠花の脳裏に否が応にも蘇ってくるのだった。