そうだ ごはん買いに行こう。-4
「なんですか、それ!!」
彼がラクシュに怒るなんて、もう何年もなかったから驚いた。しかも、狼化しそうなほどになるなんて……。
「え……と……」
完全に困ってしまい、ラクシュは目を彷徨わせた。
「俺はラクシュさんが好きで、一緒に暮らすのが嬉しいから、ここにいる」
喉奥で唸るように、アーウェンが言った。
そして少し冷静になったらしく、狼化の兆しをひっこめた。
「それなら、ここに居てくれますか? どこかに行くなら、俺も連れて行ってくれますか? 俺は、ラクシュさんと一緒なら、どこへだって行きたいです」
泣きそうな懇願だった。
本心から言ってるのだと、いくらラクシュでもわかった。
胸が詰まって痛いほど……決心がぐらつきになるほど、伝わってきた。
「……だめ」
首を横に振った。
「どうして……」
アーウェンが呻く。片手でラクシュの両手首を押さえたまま、もう片手でこけた頬を掴まれた。
覆い被さるように、アーウェンの身体に捕われる。
「は……俺、バカみたいだ……ラクシュさんに、少しでも好かれてると思ってた……」
泣きそうに顔を歪めているアーウェンからは、せっかくのキラキラが薄れてしまっている。なんだかとても残念で、申し訳ない気がしたから、ちゃんと言った。
「……きみのこと、大好きだよ」
「じゃあ、なんでいきなり、俺を捨てるんですか!?」
間近で怒鳴られても、別に怖くはなかった。もっと怖くて危険な目には、さんざん会ってきたから。
それどころか、アーウェンの荒い息が降りかかるせいで、頭がクラクラ痺れてくる。
「違う。きみが、もう、私をいらないから……」
「解んないよ、ラクシュさん! 俺にはあなたが必要です!」
「でも、わたしは、きみが、ほしい……」
ダメだと思うのに、口の中に唾が沸いてくる。目が潤んできて、身体が火照ってきた。血の気の引いた頬へも、僅かに赤みがさしているはずだ。
「ラクシュ……さん……?」
ラクシュの様子に気づいたアーウェンの表情が、険しい怒りから戸惑いへ変わる。
押し込めていた冷たく辛い記憶が蘇り、すごくすごく嫌な気分だった。ひくひくと喉が勝手に震えてくる。
「アーウェン……わたし、ごはんを買いに、故郷を出たの……」
「――え?」
「わたしの、名前……ホントは、キルラクルシュ……髪も、黒かった……」
硬く目を閉じ、もう捨て去った名前を口にした。
ラクシュの正体を知った彼が、わずかにたじろぐ気配を感じる。
「キルラクルシュ……?」
おずおずとした問いに、コクンと頷く。
闇色の長い髪をもつ、吸血鬼キルラクルシュ。
故郷から遠く離れた地でも、その名は広まっていた。
***
吸血鬼として生を受けてすぐ、人間の狩り方を教わった。
教えてくれたのは青年の姿をした吸血鬼で、夜をまって一緒に人間の街へ行き、ある館で美しい少女の血を吸った。
青年吸血鬼の魔力にかけられた娘は、最初は動かない身体に脅えていたが、衣服をはぎとられて身体をまさぐられるうちに、恍惚の表情を浮べて悶えはじめた。
こうして獲物を興奮させてから生き血を吸うのだと、青年吸血鬼は教えてくれた。
異性を選ぶほうが、得られる快楽も多いし血も美味いが、慣れないうちはこれくらいの少女がいいと。少し吸うくらいなら死なないから、加減してやれとも言った。
吸血鬼は寿命こそ長いが、意外と脆弱な生物だ。杭で心臓を貫かれれば死に、首を落とされても死に、日光すら浴びれない。
魔物の中で、もっとも弱点が多いといっても良い。
そのうえ、人間の血を飲まねば死んでしまう。だから、己を敵対視する人間すら、いなくなっては困るのだ。
年上の教えに、キルラクルシュは頷いた。
同族が人間の娘を抱くのを見るうち、身体がが熱くなり、脚の付け根奥がジンジンと疼きはじめていた。熱い液体がトロリとあふれ出し、太腿を伝う。
……でも、首から血を流す人間の娘は、ちっとも美味そうには見えなかった。
それよりも、顔を蒸気させて人間の娘を犯す同族の首筋から、目が離せなかった。