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『誤算』
【歴史 その他小説】

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2:五月十八日、申の刻-1

2:五月十八日、申の刻
「午の刻ですでに兵千、荷馬百、米俵千俵、荷車三十輌か……日が暮れるまでにはいずれも倍ほどに膨れ上がっているじゃろうな」
 物見の兵から得た情報に、丸根砦を守る佐久間盛重は低く呻いた。
 昨日桶狭間村に造られた急拵えの陣は、やはり物資の集積所だったらしい。今川本軍が駐留している沓掛城からだけでなく、どうやら池鯉鮒からも馬や荷が届いているらしい。方々で乱捕りした物資を、一箇所に集めているのだろう。
 大高道にも、徐々にだが兵たちが展開し始めている。そのため、未の刻には戻れるはずだった物見も移動に難渋し、ついさきほどようやく帰ってきたばかり。
(大高への兵糧入れを、是が非でも成功させるつもりじゃな)
 首筋の汗を端布で拭った盛重は、砦の西にある大高城に目をやった。
 伊勢湾に面した低い丘の上に、本丸と二の丸が並んでいる。以前は知多の豪族・水野氏の城で、十年ほど前に今川勢に攻められた時にも落ちなかった堅城だ。それを一昨年、織田方を裏切った山口父子に調略で落とされた。いまは今川方に靡いた三河の豪族・鵜殿長照が詰めている。
 この大高城と、黒末川の北にある鳴海城――かつては山口父子の居城で、いまは今川方の猛将・岡部元信が詰めている――は、尾張の喉首に突きつけられた匕首のようなもの。特に大高は湊を擁しているため、戦略的重要度が高い。
 そこで織田方は鷲津砦、丸根砦などの付け城を設け、さらに桶狭間の辺りに野伏せりを出没させて、大高城への補給線を断った。いままではそれが上手くいっていたのだが、本気になった今川が数にものを言わせて兵糧入れを行えば、丸根や鷲津の兵だけでは止めようがない。
(千の兵に守られた輜重隊を襲うのは、無理じゃ……)
 丸根砦に詰めているのは兵二百、鷲津砦から融通してもらってもようやく五百。打って出るには少なすぎる。
 昨日のうち、いや今日の午前中までに援軍があればなんとかなったかもしれないが、兵七千の義元本軍が沓掛城に入ったため、織田方は積極攻勢に出られなかった。沓掛から二千が桶狭間に移ったとしても、まだ五千が残っている。
 その五千が、どう動くか。
 織田方が桶狭間を攻めるには、鳴海城を囲んでいる善照寺砦や中島砦から兵を発する必要があるが、黒末川を渡らなければならない。一方、沓掛城と鳴海城の間には、丘陵地を東西に貫いている鎌倉街道がある。
 桶狭間を急襲している間に沓掛城から鳴海へ進軍されると、織田方は裏を突かれる形になるのだ。それに気づいて取って返しても、黒末川がボトルネックになってすぐには戻れない。そのため織田方は待ちの姿勢になり――状況は刻一刻と、さらに悪化していく。
(千を越える増援が、兵糧入れだけを行ってすんなり帰るわきゃにゃあわな……)
 大高城に詰めている兵力と合わせれば、二千。
 桶狭間村の陣にもさらに兵が集まるだろうから、最低でも三千、多ければ五千ほどと見ておくべきだろう。
 それが、この砦に攻めてきたら――。
 頬を撫でる生温かな潮風が、なんとも不快だ。盛重は握り締めた端布で顔を乱暴に拭い、瞑目して、太い溜め息を漏らした。
(潮の満ち引きを考えるなら、今川勢が動くのは戌の刻、辰の刻か)
 織田方は、今川方の橋頭保・鳴海城と大高城を付け城で囲んでいるわけだが、鳴海と大高の間には黒末川の河口がある。干潮時は歩いて渉れるほど浅いが、満潮の前後二刻(一刻は約二時間)ずつの間は、中島砦経由でしか往き来できない。
 そして、中島砦からこちらに渉った辺りには田圃や畑が広がっており、身を隠す場所などどこにもない。そのすぐ南側には漆山が迫り上がり、格好の待ち伏せ場所になっている。満潮時、中島砦からしか南に渉れない時に漆山に陣を張られたら、織田方はなにもできなくなってしまう。
 だから、今川方が動くとしたら織田方の後詰めが難しくなる満潮時――すなわち日が暮れたあとの戌の刻と陽が昇ったあとの辰の刻。夜の間に大高城へ兵糧入れを行い、明朝に砦攻めを開始するのが常套だろう。
(それまでに援軍を差し向けてくれりゃあよいのじゃが……)
 たぶん、無理だ。
 沓掛城に義元本軍五千が居座っている間、織田方は待ちに徹するしかないのだから。
 半ば以上諦めながら、盛重は清州に向けて援軍要請の伝令を発した。


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