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『誤算』
【歴史 その他小説】

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2:五月十八日、申の刻-2

      *  *  *
 そのころ、沓掛城では――。
「さて、いよいよ我らの番じゃ。ゆるりと参ろうかの」
 地味な具足に身を固めた今川義元が、飾りを排した馬に跨って、何食わぬ顔で城門を出て行く。左右に一騎ずつ旗本が付くが、これも本軍の馬印は立てず、続く輜重隊の護衛のようなふりをしている。
 義元を含む騎馬三騎が先行し、牛に引かれた荷車が三輌、左右を足軽に守られてゆるゆると進む。東浦道を南下して阿野へ、そこから大高道を西進して桶狭間村へ。
 二里(一里は約4キロメートル)に足りない距離ではあるが、阿野から西は上り下りがあるため一刻ほどかかるだろう。
 今日もまた、雨は降らなかった。
 沓掛の辺りは境川のおかげで水の手には困らないが、少し山側の田はそろそろ厳しくなってきているかもしれない。そんなことを思いながら進んでいけば、やがて西から東へ流れる細い川筋に行き当たる。この流れを溯っていけば、やがて桶狭間の大池に着く。
 流量の少ない小川を横目に見ながら、義元とその一行は西へ向かう。緩い登り坂の先に目をやれば、同じようにノロノロと進む小集団が、ひとつ、ふたつ、みっつ――なだらかな丘の向こう側に消えて見えなくなるまで、延々と続いている。
 人家はとうに消え、周囲には痩せた田畑と薮、貧相な林が広がるのみ。なるほど、いかにも野伏せりが出そうな気配だ。
 しかし、大高への兵糧入れを散々妨害し、今川方を悩ませてきた野伏せりは、今回はまったく姿を見せない。
(織田方に動きはない……ということは、わしの策にまんまとはまったわけじゃな)
 馬上の義元は頬に垂れる汗を拭いもせず、ニンマリと笑う。
 二年前に息子の氏真に家督を譲ったのち、初めて行う本格的な戦だ。内政を考える必要が無くなった分だけ策戦に専念できるわけで、しかもそれが望んだ通りの成果を挙げているのだから、頬が弛むのも無理はない。
 二万だ四万だと吹聴した欺瞞情報を織田方が鵜呑みにしているとは思わないが、それでも本軍は七千。池鯉鮒から桶狭間へ先攻した瀬名隊や岡崎から物資を運んでいる松平党なども合わせれば、総勢で一万と少し。
 この数が抑止力となり、いまのところ織田方をしっかり牽制している。尾張の目と鼻の先である桶狭間村に堂々と陣を築かせたのになにもしてこなかったのがその証拠だ。
 そして、いま――鎌倉街道から西進する可能性を残したまま、義元本軍七千は秘かに桶狭間村へ移動している。輜重隊とその護衛のふりをし、丸一日かけて、本陣をそっと移しているわけだ。
 この策を活かすため、義元は敢えて塗輿に乗り、三河の諸城をゆっくり巡見してきた。それをずっと見ていたであろう織田方の細作たちは、沓掛城から塗輿が出て行かないことをもってして、「義元は沓掛城から動いていない」と判断するかもしれない。もちろん、塗輿だけでは弱いから、馬と幟の半数を残し、残りの半分と塗輿も荷駄用の馬とその荷物に偽装して沓掛城から運び出した。
 馬の半分を置いていかなければいけないのは痛いが、義元の策通りに事が進めば機動戦にはならない。それに、万が一乱戦になったとしても平気なように、逃げ道の当たりはすでにつけてある。
 沓掛と桶狭間村の間には大小の丘が複雑に並び、入り組んだ地形を成していて、谷筋に迷い込むと途端に見通しが利かなくなる。そういう地理的な特性を、いままでは織田方が利用して大高への兵糧入れを散々邪魔してきたわけだ。
 それを今度は今川方が利用する。
 具体的には桶狭間村の北、西山を東に回り込んで谷筋を北へと進み、境松と呼ばれる枝ぶりの良い大松の辺りから川筋に沿って東進、沓掛へ。
 道なき道だから騎馬で通るのは難しいが、歩きならばなんとかなる。というより、沓掛に馬を置いていくのだから自らの脚で逃げることを想定し、踏破しやすさより隠れやすさを重視した結果の道筋だ。
(……まあ、そういうことにはならんじゃろうがな)
 西に傾いた太陽に炙られながら、義元は自信を深める。
 沓掛に今川の本軍があると思っている織田は先に動けないし、戦闘は満ち潮の間に決着するのだ。黒末川の北岸で手も足も出せずに地団駄を踏む織田の若僧を尻目に、悠々と引き上げてみせる――。
 海道一の弓取りの脳裏には、すでに勝ちの形がはっきりと浮かんでいた。


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