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その頃、2人が上手くいくと思っていて疑わない椎奈が、家で床に横たわり、のん気にテレビを見ていると、
「……おねえちゃんっっっ!!!」
その怒号と同時に、扉を開くバンッ!とけたたましい音が響き、驚いて椎奈は反射的に起き上がる。そして、恐る恐る後ろを振り向くと、走ってきたのか、髪を振り乱して怒りの形相を顕にしている杏子の姿があった。いつもの可憐な愛らしさなど、そこには微塵もない。
「あ、あれ?杏子、どうしたんだよ……」
未だかつて見た事がないような凄まじい妹の形相に、椎奈は冷や汗を流しながら、引き攣り笑いを浮かべてそう話しかけると、
「それはこっちのセリフだよ!お姉ちゃん、何で家にいるの……?あとで待ち合わせじゃなかったの!?嘘吐くなんてひどいよ!!」
一気にそう捲くし立てられ、椎奈は逃げ腰になる。いつも穏やかな妹が、怒らせるとこんなに恐ろしいとは、終ぞ知らなかった。
「いや、あの、その、何だ、えーっと……ね」
てっきり、2人で映画を観て仲良く帰ってくるものだと思い込んでいたので、椎奈は言葉に詰まる。目を泳がせながら懸命に言葉を探している、そんな姉のしらじらし過ぎる様子に、とりあえずさっきの台詞で言いたい事を言い切った杏子は、一旦息を整えると、
「ねぇ、お姉ちゃん、もしかして大きな勘違い、してない……?」
「え……?」
「わざわざ孝ちゃんと引き合わせようなんて、私が、孝ちゃんの事好きだって思ってる?」
「……違うのか?」
まるで幼い子どものように目をまん丸く見開いて、椎奈が驚いた声を上げると、杏子は溜息を吐きながら脱力する。やはり、思ったとおりだった。
「違うよ、もう全っ然違う……」
今は、恋敵というか、むしろ嫌いだ。憔悴し切った杏子の顔を見ると、椎奈は心臓がぎゅっと掴まれるような居た堪れなさと、一人で突っ走った自分に羞恥を感じた。
「ごめん、あたし、2人がうまくいったらいいなって思って……」
「孝ちゃんは、私の事好きだなんて一言でも言った?」
「ううん、完全にあたしの思い込み。だって、よく学校で2人で会ってるし、この前杏子が夕食持って行った時だって仲良くしてたから、てっきり……」
徐々に自分の声のトーンが下がっていくのに比例して、申し訳なさのあまり椎奈はどんどん落ち込んでいく。
「お互い何とも思ってないんだから、もうこんな事するの二度とやめてよ?」
「杏子、ほんとごめん」
「じゃあ、約束通り、今から一緒に映画行ってくれる?」
完全に自分に非がある上、そんな涙で潤んだ瞳で上目遣いに懇願されては断れるはずがない。
「でも、チケットは」
「大丈夫、孝ちゃんがお姉ちゃんと2人で行ってこいってくれたから」
「そっか、なら今から行くか?」
椎奈は、何とかぎこちない微笑を浮かべると、
「うん!」
杏子は、初めて嬉しそうな笑顔を浮かべた。そのおかげで、椎奈の罪悪感も少しだけ薄れる。自分勝手な思い込みで、2人を傷つけ、振り回してしまった。
(あとで、孝太郎にも謝っとかないとなぁ…)
部屋に戻り、服を着替えながら、椎奈は自分の浅はかな行動を心の底から反省していた。2人が両思いだと思って疑わなかったので、この結果は予想だにしなかった。
しかし、杏子でもないとすれば、彼の好きな相手というのは一体誰なのだろう。自分には全く面識のない人物だろうか。
(あ、また……)
シャツを脱ぎかけていた手が、ぴたりと止まる。まただ。また、この感覚。ちくりとした、ほんの小さな痛みなのに、何故か持続性のあるこれの正体は何なのだろう。胸の奥で蟠っているそれについて考えてみた後、頭を左右に軽く振る。
考えてもわからない事に気を取られるのは時間の無駄だ。早くしないと、下で杏子が待っている。これ以上、機嫌を損ねないようにしなければ、あとが恐ろしい。
それにしても、彼女の最も苦手とする恋愛モノの映画を数時間観なければならないとは。自分で観るつもりはなかったので、適当にムードのありそうなタイトルを選んだのだが、ほんの少しだけ憂鬱だった。
一方、リビングで椎奈の支度が整うのを待っている杏子も、ここまで恋心を認識されていない孝太郎に、敵ながら少しだけ憐れみを感じていた。
―――それから、映画を見た後に姉妹仲良く買い物や食事をして楽しんで、帰宅したのはもう8時を過ぎた頃だった。
自室に戻ると、椎奈はちらりと、隣の家の窓を見つめる。中は暗く、彼は部屋にいないようだ。もしくは、拒絶されているのか。
(こんな事したら、当然だよな……)
暫く闇の先を見つめていたが、椎奈は溜息交じりに、カーテンを閉めた。