ジークの一番災難な日-8
アーチ型の巨大な石門をくぐり、中世の城めいた校舎の中へ入る。
壁に飾られた絵の男女が動いていたり、モップとバケツがダンスしながら掃除をしていた気もするが、よく見る余裕なんかなかった。
複雑に曲がりくねった通路を走り、廊下の端にある扉の前で、ようやくエレオノーラは脚を止めた。扉の中からは、子どもたちの賑やかな声が漏れ聞える。
さっさと入ると思ったのに、エレオノーラは唐突に振り向き、ガバっと抱きついてきた。
「マルセラ! わたくしは貴女の親友といえ、本日は心を鬼にして、役になりきりますわ!!」
……そういやコイツは、主人公にエグイ嫌がらせをする継母役らしいな。
「いや、劇の役なんだし、仕方……」
……ねぇだろ、と言い終わる前に、エレオノーラにぎゅうっと抱きつかれた。
「大好きですわ! マルセラ!」
おいおい! お前はいつもマルセラにこうやって抱きついてるのか!? ちょっとスキンシップ過剰だろ!
「わ、わかった……っ!」
力を入れすぎないように気をつけながら、華奢なお嬢さまを引き剥がす。
エレオノーラは名残惜しそうな顔をしていたが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、あの金髪のお方が、マルセラの英雄ですのね」
「え?」
「マルセラの大好きなジークさまのお姿を、ようやく拝見できましたわ」
かああ、と顔に血が集まっていく。
マルセラのヤツ、学校でも俺の話をしてるのかよ!
「っ!!」
いたたまれずに、エレオノーラを押しのけるようにして扉を開いて中に駆け込んだ。
扉をあけた瞬間、部屋にいた十数人のガキが、いっせいに振り向く。
思わぬ注目に、一瞬ギクリとしたが、すぐに親しげな挨拶と笑顔が向けられた。それも一人じゃなくて、何人も。
どうやらマルセラは、大勢の友達と学校で楽しくやっているようだ。
ケンカを挑まれるか、泣いて逃げられるかの二択だった、俺の学生時代とは大違いだな。皆と仲良くしろと、口を酸っぱくしていたシスターたちも、しまいには匙を投げたっけ。
だけどもし、魔法学校じゃなくて貧困家庭の子どもを集めた慈善学校でも、マルセラならどこだって、友達を沢山作って仲良く過ごせるだろう。
両親を亡くしてからしばらくは、口も聞けずに虚ろな無表情だったのが、すっかり元に戻ったと、祖母さんも喜んでる。
もっとも、祖母さんだって本当は、マルセラがまだ立ち直れちゃいないし、かなり無理しているのにも気づいているはずだ。
ガキたちは無邪気にはしゃいで劇の仕度に精を出している。
それをぼんやりと眺めていると、部屋の扉が開き、やせぎすの女が姿を現した。
生徒達がいっせいに姿勢をただし、声をそろえてさえずる。
「ホワン先生! おはようございます」
「おはようございます、皆さん。廊下まで騒ぎが聞えていましたよ。もう少しお静かに」
威厳たっぷりの静かな声が、生徒たちに向けられる。
出遅れちまった俺は、慌てて姿勢だけ正して、女をこっそり観察した。
細身といや聞えはいいが、針みたいな色気のない体型だ。歳はそろそろ50近いってところか。尖った顎の顔だちは、いかにも厳しく神経質そうに見える。
黒髪をひっつめて頭の上でまとめ、首もとの詰まった細身の大陸東風ドレスを着ている。群青色の絹には、鮮やかな青の刺繍が細やかに施され、服と同じ絹地で作られたハンドバックを持っている。
どうやらこの女が、マルセラの担任教師らしい。
この女教師の話は、たまにマルセラから聞いていた。
確か名前はジャネット・ホワン。西と東の魔法使いを両親に持ち、両方を自在に使えるとか……。
そんなに優秀なら、なんで小等部の教師なんかやってんのか不思議だ。子ども好きって感じにも見えないしな。
いかにもキツそうな女教師は、不意に俺を見て、不審そうに片方の眉を吊り上げた。
「……マルセラ?」
「っ!?」
入れ替わってるのがバレたのかと思ったが、女教師は部屋の隅に置かれた箱から衣装を取り、俺の手に押し付ける。
「もうすぐ始まりますよ。早く着替えなさい」
「あ……は、はい」
最初に着るツギハギだらけの衣装を眺め、俺が内心で諦めの溜め息を吐いた時だった。
廊下から荒い足音が響き、乱暴に扉が押し開かれる。
肩をいからせながら鼻息も荒く飛び込んで来たのは、はちきれそうな腹を高価そうなスーツに押し込んだ中年男だった。太りすぎていて首が殆どない体型は、まるでセイウチに見える。
「ホワン先生、納得いきませんな!」
セイウチ男はドスドスと足音を響かせて、女教師へと詰め寄った。
「カブリーニ男爵。申し訳ございませんが、保護者の方は講堂でお待ち願ください。間もなく開演いたしますし、子どもたちは準備中です」