ジークの一番災難な日-2
俺が内心で自分を説得しているうちに、マルセラはリュックから紙ファイルを取りだして、熱心にめくっていた。
「……です……」
何やらブツブツと小声で呟いているのは、劇のセリフだろう。
明日はマルセラの通う魔法学校の学園祭へ、一緒に行くことになっている。
去年も一昨年も誘われたんだが、俺は昔から学校って場所が苦手で断っていた。
しかし、今年は小等部が演劇の出し物をやり、マルセラは主役ヒロインになったというので、俺も見に行くと約束させられたわけだ。
台本をめくるマルセラは、真剣そのものだ。
聞いたところじゃ、どうやらマルセラの生まれ持った魔力は高く、学校でも優等生らしい。
でも、こういう姿を見ると、生まれつきの能力だけじゃなく、やっぱり真面目なんだと思う。
俺は本なんか未だにロクすっぽ読まないし、この……ツンデレラ? とかいう話も、聞いた事がねぇ。だから内容は明日、マルセラの舞台を見てのお楽しみだ。
それよりも……と、手に持った『保護者の皆さまへ』という、プリントに視線を走らせ、俺は内心でこっそり溜め息をつく。
せっかくデジカメを用意したのに、 『静かにご鑑賞頂くため、ご家族ならび使用人の個人的撮影は一切禁止させて頂きますことを、ご了承ください。撮影は当校の専属カメラマンが行い、後日にDVDを販売いたします』 だと?
魔法学校の人間生徒ってのは、貴族や金持ちの率が多い。
エルフやピクシーなんかの異種族はともかく、人間の魔力は血統遺伝が殆どだし、魔法使いには名家が多いから、当然といえば当然か。
マルセラの父親も、本当はロクサリス国の貴族息子だったのに、魔力なしの女と結婚して勘当されたらしいし……ま、そんなのはどうだっていい。
重要なのは撮影禁止の件だ。DVDを買うしかないか。
……あくまでも、マルセラの祖母さんに見せるためだからな。
二枚買うのは、壊れた時に備えて念のためだ。
なんとなく手持ち無沙汰になった俺は、プリントを放り出し、チェーンソーの手入れでもすることにした。
夕飯を済ませ、一緒に風呂に入ろうというマルセラの申請は全力で却下した。ガキっつっても、お前はもう九歳だろうが!
ベッドはマルセラに貸してやり、俺はリビングのソファで寝る事にする。部屋の灯りを小さくし、ベッドに潜り込んでいる柔らかなくせっ毛を撫でた。
「明日……残念だったな」
マルセラはがっかりした様子も見せないが、やっぱり祖母さんに一番見て欲しかったんじゃないかと思う。
「おばあちゃんが来られないのは残念だけど……早く元気になってくれる方が嬉しいよ」
目を閉じたまま、マルセラがとても聞き分けのいい返事をした。
あーあ、無理してやがる。
普段はいっぱしにワガママも言うくせに、こういう時は……まったく……。
「……そうか」
でも、俺はガキの慰めかたなんか知らないから、短くそれだけ答えた。
「うん。ジークお兄ちゃんが来てくれるし」
大粒のくりくりした可愛い瞳が開き、無邪気に俺を見上げる。途端に頬が熱くなり、なんとも落ち着かない気分になった。
「なんかあったら呼べ」
慌ててリビングに続く扉へ逃げこみ、ソファーに寝転んで制服の上着を引っかぶる。
ソファーは俺が寝床にするのは、かなり窮屈だった。少しでも動くと落っこちそうになる。
(マルセラくらい小さけりゃ、ここでも広々かもな……)
身体を縮め、なんとか眠ろうとしながら、ふとそんな思いが頭に浮かんだ。
その時、寝室と繋がる扉が開く音がした。
「……マルセラ?」
寝付けないのかと尋ねようとしたのに、扉の隙間から奇妙で甘ったるい香りが漂ってきた途端、猛烈な睡魔が俺を襲った。
目を開けられないほどの眠気に、瞼を無理やり塞がれる……。