ジークの一番災難な日-12
怒る気も失せてしまい、俺はグシャグシャに濡れていた顔を、袖でゴシゴシと拭く。
とにかくこれでやっと、普段の気楽な口調で喋れるわけだ。
女教師を見上げ、肩をすくめた。
「俺も誤魔化せと、マルセラをそそのかした。校則違反の罰ってのが、部外者にも適用されんなら、ちゃんと受けるさ。……ついでに、アイツも同罪だ」
扉の傍らでニヤニヤしているウリセスを、親指で示した。
フン。アイツの嬉しそうな顔からするに、マルセラが自分で白状するのを、期待してたんだろうな。
「ホワン先生、お久しぶりです」
苦笑するウリセスを、女教師が冷たく眺める。
「あら。やっと問題児が卒業してくれたと思ったのに、相変わらずだこと」
……なんか、やけに親しそうだな。
俺は二人を見比べ、ガキ達も茫然としている中、ガランゴロンと鐘が鳴り響いた。
「まぁ大変。時間になってしまったわ」
女教師が片眉を潜め、咳払いをする。
「ウリセス。貴方は講堂の観客を退屈させないように、十五分ほど時間稼ぎをしなさい。それでお説教は勘弁してあげます。……ついでに、男爵を講堂へご案内してあげなさい」
チラッと、女教師が細い目で、口を聞けなくした男爵を睨んだ。
「かしこまりました」
一礼したウリセスが、ジタバタもがく男爵を笑顔で手早く捉え、さっさか退室していく。
扉が閉まると、女教師はバックからまっさらな紙札と筆ペンを取り出した。ミミズがのたくっているような複雑な模様と、いくつかの漢字を素早く書き込む。
そしてツカツカと俺たちに近寄ってきた。
「お二人とも、解呪の間は動かないで下さいね」
マルセラと俺の額へ、ペタリと紙札が押し当てられた。
「転・移・解・戻!!」
西と東の魔法を操る女教師は、鋭い声で東の言葉らしい呪文を唱える。
一瞬、目の前の景色が、溶けるように歪んで真っ白になった。
「……あ」
「……戻った!」
俺とマルセラは、半日ぶりに取り戻した身体をペタペタ触って確認し、顔を見合わせる。マルセラの大きな青い瞳に、いつもと同じ、目つきの悪い俺が映っていた。
―― ハハ。やっぱ、こうじゃねーとな。
「……マルセラ、クラリッサ」
しかし、喜んだのも束の間。
冷ややかな声に呼ばれ、マルセラが緊張を孕んだ顔で女教師を見上げる。クラリッサも同様だ。
「はい」
並んだ二人の生徒へ、ホワンは厳しい視線を降ろす。薄い唇を開き、冷たい声で言った。
「エイプリル・フールの冗談にしても、少し度が過ぎますね。来年はもう少し、程ほどにするように。――以上です」
「……え?」
「……先生?」
そして女教師は、パンと手を打ち合わせた。
「さぁ、マルセラは早く着替えて。クラリッサ、手伝ってあげなさい。他の皆も準備を急ぐように!」
「は、はい……!」
マルセラが頷き、クラリッサも慌てて礼をする。他のガキ達も、いっせいに支度へ取り掛かった。
ホワンは生徒たちの姿を満足そうに眺め、不意に俺へ向き直る。
「っ!?」
鋭い眼光を浴びせられ、俺は顔を引きつらせた。
怖いわけじゃねーが、こういう女は苦手だ。
なにより、さっきまで俺は、マルセラの『中の人』だったのがバレたわけで、おまけに悔しさの余り泣くと言う……うああああああ!!
この部屋のやつ等、全員の記憶を消す魔法とか、無いのか!?
俺は今、人生で初めて、魔法使いになりたいと猛烈に思う!!
蒼白になっている俺に、女教師が淡々と告げる。
「申し訳ございませんが、保護者の方は講堂でお待ちください」
そして、さっさと出て行けというように扉を開いた。
「あ、ああ……」
扉をくぐりながら振り返ると、マルセラが灰被り娘のボロ衣装を着るのを、クラリッサが手伝っていた。
二人は少し気まずそうに、笑いあっていた。
―― ま、仕方ねぇ。今日は正午まで嘘が吐き放題の日だ。
なんだかんだあったが、劇は大成功に終わった。
恥ずかしいセリフの数々も、マルセラが言うと可愛く見えるから不思議だ。