その(4)-3
帰京して一週間経ってもミユキは現れなかった。
(こんなことは初めてだ……)
居所も知らない。勤めている店もわからない。電話さえ知らない。誰に訊ねることも出来ず、改めて考えてみると何も知ってはいない自分が勝手にミユキに呼びかけていたのだった。
所属を調べる手立てはあるが、理由がない。早く歌を作り、プロダクションに連絡をしようか……。
逡巡のうちに意外なところからミユキの情報が出た。北山からの電話が動揺を起こし、それは頬を刺し、また、心を射抜いた。
「本気なのか?」
彼の言葉は鋭かった。
「いい歳をして……」
嘆息混じりのその言葉は酒の臭いがするように思えた。
突然なので面喰っていると、北山はミユキの名を小石を投げるように口にした。
「遊びなら遊びで、なんで適当にしておかないんだ」
彼の話が唐突だったので呆気にとられてしばらくはろく返事も出来なかった。
「ちょっと待てよ。あの娘とは別に、妙な関係はないんだ」
「信用しろよ。俺には隠すことはないだろう」
「隠してやしないよ。本当に何もないんだ」
「ないって、どういうことだ」
答えるのも面倒だったが、かいつまんで自分の本心を話した。さすがに彼女との痴態に触れることは出来なかった。
「つまりそんな気持ちで、正直なところ魅かれてはいるかもしれないが、要するに抜き差しならない関係ではないんだ。でも、なんでお前がこんな話を」
北山はしばらく黙っていた。煙草を吸う気配が伝わってきた。煙を吐きながららしい一言がいやな予感を呼んだ。
「馬鹿だなあ……」
「?……」
「だとしたら、お前がいいように利用されたってことだな」
「どういうことだ?」
「週刊誌のことだよ」
すぐにわかった。
「それは聞いたよ。彼女から。追い回されたってことは」
「追い回されたんじゃない、逆だよ」
「逆ってなんだ?」
「売り込んだんだよ、あの女が」
「?……何を……」
「お前、何年この業界にいるんだ。呆れるぞ、まったく」
「……」
すでに動悸の高まりを感じていた。
溜息の後、
「いい記事になるよ。売れっ子の作家だからな。いくらになったか知らないが……」
(そんなことはない……ミユキはちがう……)
そんなありきたりの欲なんかない女なんだ。俺だって盲目じゃない。
北山は苦しい、友情に満ちた笑いを伝えてきた。
(向井のところには絶対行くなと言ったそうだな。俺のところだけにしろと言ったって?そうすれば歌を作ってやるって?鍵を預けて出入りは自由だって?おまけに不能?)
(よせよ、くだらない……)
「冗談はよせ」
「だから一匹狼は損なんだ」
北山は冷静さを保とうとしながらも友のために憤ってくれた。
思考の混乱のためか、頭痛に似た頭の重さを感じた。ミユキの顔の輪郭が浮かんでこない。遠い昔の思い出の女のように思えていた。
「おい」と北山の低い声が聞こえた。
「聞いてるのか?」
怒ったような口調だった。聞き逃していたようだった。
「あの小娘一人の知恵じゃないな」
北山はあれこれと裏事情のいくつかを可能性として話し続けたが、関心はなかった。ミユキの話に尾ヒレをつけた相手を追及したとしても、週刊誌を訴えても何も残らないように思えた。それにそんな気力もなかった。
迂闊だったという後悔はなく、ただ信じられず、悄然とするばかりで虚しさが在った。
ミユキの顔を思い浮かべて、どう考えても打算的に向きを変える女とは思えない。その顔はぼやけて半透明になり、いつか一つの流れになって漂い出してしまいそうだった。
週末に発行されたある雑誌には、北山がどこからか得てきた情報とほぼ同じ内容の記事が載っていた。見出しばかりが大きい、二流といっていい週刊誌である。中味は性風俗や根拠の曖昧なゴシップ記事が満載であった。
ミユキは神妙な面持ちで写真におさまっていた。もっともらしく、『告白』という形で記事は書かれてある。ざっと読んでみたが、見出しの割には乏しい内容で、腹も立たなかった。内心ほっとしたのは剃毛のことが書かれていなかったことだ。『通い妻』だったと言いながら、性行為については濁してある。
(ミユキは裏切ってはいない……)
「逆に利用してやれ」と北山は言った。
「うちの局で企画してやるから反対に蹴落としてやれ」
だが、今の立場が危うくなることもないだろうと思った。
その後、二、三度テレビでミユキを観たが、それだけで終わった。少しばかり煩わしい思いもしたが、半年も経たないうちに跡形もなく消えてしまった。
元通りだった。下手に動かなかったから却ってよかったのかもしれない。しかし、まぎれもなく『よかった』のだと言い切れる日はまだ先のような気もする。また北山が笑いそうだ。
『相変わらずだな』……
たしかに遠い行進は近づいている。何がやって来るのかそれはわからない。だが、自分に向ってくる明らかな響きがわかる。
先日、ミユキが新聞に載っていた。マリファナの常用者として、彼女は堂々と、
『歌手、愛ミユキ』だった。