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遠い行進
【その他 官能小説】

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その(1)-1

 弾いているなんていうものではない。気の向くまま鍵盤を叩いているだけだ。左手も右手も関係なく、同じ指が折れ曲がったまま順番に動いている。
 本人にしてみれば何か一つの曲調のつもりらしい。そのうち、思いついたように人差し指で鍵盤をつつきながら童謡や唱歌を口ずさんだりするのだが、ピアノのメロディは三小節とは続かない。とんでもないところを叩いて旋律が消える。
「あれ?……」
ぶつぶつと独り言を言いながらようやく音を見つけると、もう次の音がだめだった。そんなことを何度か繰り返していると、何を弾いていたのかわからなくなるらしく、首をひねり出す。そうしてまた別の曲をぽつんぽつんとやりだすのだ。

 ミユキはいつでもそうやって、かなり長い時間遊んで帰る。週に二、三回はやってくる。尤も、彼女にとっては遊びに来るわけではなく、仕事の一部であり、さらにいえば、大きな仕事にありつこうとする大事な訪問であるはずだった。『スター』になるためのパスポートを手に入れる必死なその日その日なのだった。だが、必死な、というと何だかそぐわない気がする。ミユキに関しては。……


『スター』を夢みる歌手の卵たちは、少しでも認められよう、目をかけてもらおうと作曲家、作詞家たちのところへ押しかけていく。あるいはレコード会社の顔役の目の中を物欲しそうに歩き回る。
 彼らは小さなプロダクションに所属はしている。しかしまわってくる仕事といえば歌とは関係のない、時には顔さえ見せることのない雑役ばかりである。だから自らの力でチャンスを掴む以外にない。何としてでも。……
 それは実に一途で惨めな姿だった。女たちは一人残らず肉体を売っていたが、多くの場合何の代償も得られなかった。ただ弄ばれただけだった。
 それでもいつかはと誰もが信じていた。信じようとしていた。どんなところに切っ掛けがあるかわからない。それは確かだった。実際に夢としか思えない幸運によってスターとなった歌手もいる。ごく稀なことではあるが、そういう事例を考えると彼らは諦められないのだ。もし自分がやめた後に誰かがその幸運を手にしたら……。そんな想像をすると、すぐ明日にでも何かがあるように思えてくる。だが何事もない。もう少し辛抱してみよう。
 そうして年月が流れ、運のない、もしくは才能のない若い彼らは荒廃していく。

『スター』を作り上げる側の人間たちは狡猾で高慢だった。まとわりついてくる少女たちを完璧に追い払おうとはしない。気が向くと声をかけ、遠まわしにチャンスを匂わせ、そして裸にした。
 彼女たちはどんなことをされても厭わない。ただ、その前に約束が欲しいだけだ。テストオーディションをしてくれるかどうかという……。
 そんな約束をするのは容易いことであった。ある程度義理絡みの人数が集まると、三流作家の作った歌を、まるで銃殺にでもするように一列並ばせて歌わせればそれでいいのだ。
 この中から『スター』が出ると信じる彼らは、互いに緊張し、敵意を燃やす。見知った顔でも口さえ利こうとはしない。ライバルなのだ。時には些細なことから諍いが起こったりもして、そんな時、周囲の関係者は喉の奥で低く笑うのだ。
 笑われていることも知らず、彼らはひたすら身を硬くして、自分がもっとも上手く歌いこなそうと拳を握りしめるのだった。傍で見ているとそんな彼らは哀れで滑稽だった。
 そうして一つの歌を流れ作業的に彼らは歌い、それぞれCDが手渡される。
『自分の歌』の入ったCD!
 そこには歌のタイトルだけで自分の名前はない。だが彼らはそれでも満足だった。ひとつの段階に達したと思い込むのだ。そのうち本当のレコーディングが出来るだろうと。

 しかし、可能性は万に一つもあるかどうか。なぜなら、関係者にとってのテストオーディションとは、肉体、あるいは金銭を提供した彼らに対しての供養といってもいい『行事』なのである。録音室でミキシング操作をする連中も助手や見習いばかりで、いわばテストにやってくる歌手の卵たちは練習台でもあるのだった。有力者が立ち会うことはまずなかった。
 それでも薄っぺらなCDを貰った彼らは喜び勇んで帰っていく。元気に礼を述べ、皆一様な抑揚で、
「お疲れさま!」と上ずった声で言い、愛想のいい笑顔を振りまいていく。

 そうやって彼らは未来への第一歩を踏み出した気でいる。しかし呼び出しがこない。くるはずはないのだ。だが彼らは待つ。そのうち待ち切れなくなってふたたび方々を歩き回るが、以前と変わったことは何ひとつとしてない。結局は一歩も前進してはいないのだ。 それでもそんな風に解釈したりはしない。夢に近づいていると錯覚し。また自らの体を投げ出し、金を使う。

 そんなことを何度か繰り返し、それが徒労だと分かり出す頃、彼らはいつの間にか彼らを弄んだ連中と同じように狡猾になっていた。

 とにかく、権威ある者に押し上げられなければ成功はあり得ない世界なのだ。どんなに才能のない無名の歌手でも、売り出そうと腰を据えれば驚くべき圧力でマスコミに押し出され、たとえ一時的にせよ『スター』と名のつく存在にすることは可能だった。そういう権威者に抱きあげてもらえるかどうか、そこが分かれ道なのだった。

 

 


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