交渉-1
〈3.交渉〉
リビングの床に敷かれたカーペットにぺたんと座り込んでいる双子の幼い兄妹を、コーヒー片手に愛しそうに眺めていたケンジのもとに、龍が手にカップを持ってやってきた。
「あ、パパ」クレヨンで絵を描いていた女の子の方が顔を上げて、にっこりと笑った。龍は持っていたカップをテーブルに置いて彼女を抱き上げ、そのマシュマロのように柔らかな頬にキスをした。
「あー、いいな、けんごにも、けんごにもー」
男の子の方も両手を挙げ、顔を上に向けて龍に懇願した。龍は娘を抱いたまま腰をかがめて、その男の子にもキスをした。
「もう二人とも寝る時間だぞ。さ、お片づけしなさい」
龍は娘をそっと床に下ろして、にこにこしながら言った。「お部屋でママが待ってるからな」
「はあい」
二人は同時に返事をして、表紙にクマの絵がついたスケッチブックとクレヨンの箱をそれぞれ手に持ち、母真雪の待つ子ども部屋へと駆けていった。
龍はケンジに向かい合ってソファに座った。
「どうした、龍」ケンジは顔を上げた。そして手に持ったカップを口に運んだ。
龍は身を乗り出し、何の前触れもなく出し抜けに言った。
「父さん、真雪とセックスしてくれない?」
ぶーっ!
例によってケンジはコーヒーを派手に噴いた。
「なっ、なっ、何だってっ?!」
「だからさ、真雪を抱いてほしい、って言ってるんだよ」
「ばっ、ばかなこと言うんじゃない! な、なんで俺が真雪を……」
ケンジは真っ赤になって、テーブルにこぼしたコーヒーを、鷲づかみにしたティッシュで拭き取った。
「ま、真雪は俺の姪だし、お、おまえの最愛の妻だろ? 言ってることがわかってるのか? おまえ」
「俺もすごく無茶なことを言ってるってことは解ってる。でも真雪と俺とが何度も話し合って出した結論なんだ。とても大切な理由があるんだよ」
「理由?」ケンジは龍に向き直って言った。「なんだか、断る、って言えないような勢いだな……」
「受け入れられそう?」
「と、とにかくちゃんとわけを話してくれ」
「うん。わかった」
龍は一息ついたあとゆっくりと口を開いた。
「真雪、二十歳の時に不倫したでしょ」
ケンジはカップをソーサーに戻して数回瞬きをした。
「ああ。おまえも彼女も酷く辛い思いをしたな、あの時は……」ケンジは小さなため息をついて、息子の目を見つめた。「早く忘れてしまいたいんじゃないのか? 龍」
「今回、父さんが真雪を抱くことで、あの時に受けた彼女の心の傷を癒してほしいんだ」
ケンジは意外そうな顔をした。
「心の傷だったら、おまえが癒してやったんじゃないのか?」
「99lはね。でも、歳の離れた男性に対する恐怖心が1l残ってる。今でもね。それを取り除いてもらいたいんだ」
「恐怖心?」
「ちょっと大げさかな……、うーん、何て言うか、真雪の身体に残っている拒絶感、というか、こわばりというか……」
「拒絶感……」
「昨夜も一昨日もその前の夜も、真雪、三日続けてあの男に犯される悪夢をみて、夜中に飛び起きたんだ」
「ほ、ほんとか?」
「うん」
「ほんの少しだけど、でもしっかり残ってるんだよ。年上の男性に対する恐怖心みたいなのが……。真雪の中に」
「俺が真雪を抱くことでそれがクリアされるとでも?」
「父さんじゃなきゃだめなんだ。理由はただ一つ。俺とも真雪とも血が繋がってるから」
「それがどうして?」
「歳が離れた全くの他人を真雪が選んできたり、俺が紹介したりして、その人に真雪を抱いてもらったとしても、おそらくそれでまた真雪の心や俺の中に新たな傷ができる可能性が大きい。たとえその人も真雪も俺も合意の上であっても、もう、そういう赤の他人に真雪を抱いてもらうことは、リスクが大きすぎるよ」
「だからって、無理にそういう機会を作る必要はないんじゃないか? 俺が真雪を抱くっていう……」
「結婚して、子どももできて、真雪と俺との関係が揺るぎないものになったから、頼めるんだ。それに父さんなら、真雪を気持ちよくさせて、なおかつ彼女の身体の奥に残った忌まわしい1lを取り除くような癒しのセックスができるはずだろ?」
ケンジは少し焦ったように言った。「そんな難しいこと考えながら、その、ま、真雪を抱けるわけないだろ。っていうか、当の真雪自身は本当に納得してるのか?」
「うん」龍はあっさりと言った。
「う、うん、って……」
「俺がこのことを提案した時、それはいい考えだ、って言ってた」
「いい考え……って、ほんとか? ほんとに真雪がそんなこと」
「大丈夫。心配しないで。でも万一、その時に急に真雪が拒絶したとしても、父さんなら途中でやめられるでしょ?」
「まあ勢いで突っ走るような歳でもないしな。それは大丈夫だ。無理はしないし、真雪にも無理はさせないよ」
「だから父さんに頼むのさ」龍はにっこり笑った。