桜貝の夜曲 ★-2
(妊娠……)
最悪の恐怖が恵利子の全身を支配し強張らせる。
極薄の境界、極薄のポリウレタンで創られた境界のみが、恵利子をその最悪の恐怖から守ってくれる。
数秒後、言葉通り、胎内で男が飛沫を上げる様な勢いで脈打ち果てるのを感じ取る。
ずるりっ……
男の欲望が引き抜かれる。
「これが君への想いだ」
男はそう薄気味悪い事を言うと、無形のポリウレタン容器に排出された体液を示す。
「……」
無言ではあるがその容器を無意識に目で追う恵利子。
それ自体は吐き気を催す程の嫌悪の対象でしか無かったが、その容器が破損せずにその役目を果たし終えた事を目視する事で初めて最悪の中で安堵を得る。
暗黙の流れの中、恵利子はベットより身を起こすとバスルームに姿を消し、数分で身支度を整えると慌ただしく帰途に着くのである。
帰りの車内男は行為前同様、何事も無かった様に別人に戻り何かを話している。
それを同様に完全無視を決め込む恵利子であったが、その心は正に別次元に有りある思考を繰り返していた。
その心中は行為中、別人となる男の豹変振りに疑問を感じ観察と思考していたのだ。
(何故、この人はこんな事を私に強いるのであろう? その要因は少なからず、行為中の男の豹変振りで察しがつくが…… では何故、私なのか?、どうして……?)
男にそう問いかけてみようかとさえ思える。
(!)
その時恵利子の脳裏にあの言葉が思い起こされる。
それは薬を服用させられ無意識下、処女を奪われたあの日。
「どうして……?」
薬物の呪縛から解かれ、その身に起きた事を理解した恵利子が発した最初の言葉、非難の言葉。
「美しいから……」
その精一杯の非難の言葉に対する、男から発せられた意外なまでの端的な反応。
「そんなのおかしい! そんなの理不尽」
帰途に着く車内、不意に恵利子の口が開かれる。
「磯崎さん、着きましたよ。ここから先は徒歩で向かわれた方が…… それではまた2週間後」
男は恵利子の突然の言葉に驚きながらも、何事も無かった様に下車させその場を立ち去る。
数時間後、恵利子は長い入浴で今日の穢れを清めダイニングに居た。
時計の針は午前零時を既に回っていた。
アイランドキッチンテーブルには、茶葉から淹れたアールグレイティーが芳しい香りを立ち昇らせていた。
恵利子の好む香り、それでも恵利子は苛立ちを抑えきれなかった。
大好きな紅茶の香りすら、今は不快に感じ口にせぬまま部屋に向かう。
「美しいから? だから、だから何? 私が美しいから、あの男の狂った欲望を何故受け止めなきゃいけないの? 美しいからレイプされたの? 私……、セックスなんてしたくない!」
繰返される不快な思考の中、知らぬ間に口にしてしまった言葉。
“レイプ”“セックス”知らぬ間に犯され、強いられ続けてなお認めたく無かった現実とそれを意味する言葉。
美しくありたく潔癖なまでに神経質な自分が、見知らぬ男と肌を合わせ胎内に放たれる感覚。
三度目のセックス強要を終えた夜、再び恵利子の心は深夜彷徨い始める。
「先生に言いつけた罰だ、これから俺たち3人にスカートの中を見せるんだ。気持ち良いのか、磯崎? おれ、磯崎のマンコがどうなってるか見てみたいんだ」
小学6年生の時、同級生少年たちから受けた性的イジメ。
少年が発した淫猥な言葉と共に記憶が甦る。
それと同時に、少年の顔面を踵で突き上げ、少年の肩を外し逃げた時の感触。
少年の口と鼻から鮮血が滴り、肩を外した少年の泣き喚く声が後方より聞こえた時の高揚感。
(あんな事、あんな事自分では出来ない、自分ではしない。あの後、私は……、私はどうやってあんな事を……?)
あの後恵利子の記憶は数時間に亘り空白であった。
正確に言えば本来の恵利子の記憶が空白であった。
その心と身体は数時間に亘り、少年たちを捻じ伏せたもうひとりの恵利子に支配されていたのだ。
「熱い、熱くて……、コリコリする。ほんとう……」
恵利子は誰も居ない自宅に帰ると、室内の電気も付けぬまま自室に居た。
自らを辱めた少年たちを捻じ伏せた昂揚感から、体温が異常なまでに上がり全身が熱に包まれていた。
その中だらしなく開かれた両脚の付け根、下着のクロッチ中央に先程されていた行為を真似る指先があった。
それは恵利子自身の指先、それがより深く突き立てられていた。