Mirage〜1st contact〜-1
僕は自転車のペダルを全力で踏み込んだ。
行き着く先に、誰も待っていなくとも。
銀色の車輪は小気味のいい音を立てて回る。
必要以上に、ハンドルのグリップを強く握る。少しだけ、指が痛い。
僕の視界の片隅で、景色が流れる。糸を引くようなその様は、まるでどんどん後ろへ後ろへと、吸い込まれていっているようだ。
僕は、必死だったのかもしれない。
背後から音もなく忍び寄る、見えない恐怖から逃れようと。
離れていくあのヒトに、追いつこうと。
しかし同時に、僕はわかっていた。
影はどこまで行っても、ついてくること。
光は、どんなに手を伸ばしても、掴めないこと。
それでも僕は全力でペダルをこいだ。
疲れも痛みも、すべてを忘れて。
僕は、彼女の影を追いかけた。
「おぉーい、神崎、ちょっと来てくれや!」
遠くから大きな声で呼ばれたのは三年前、春の体育の時間。
「‥‥何すか?」
いいところだったサッカーを途中で抜けさせられ、僕は少し不機嫌に体育教師の本郷の元へと行った。そこには、足首を抑え、痛々しく笑っている一人の女子生徒と、心配そうにそれを見守るその友人らしき数名の姿があった。本郷は苦笑いしながら、
「悪いけどな、神崎。筑波が捻挫してしまったんや」
と言って、僕の肩をぽんと叩いた。
「‥‥で?」
言いたいことは理解したものの、嫌味のつもりで訊いてみる。
「保健室連れて行ってやってくれへんか?聞きゃあお前、保健委員らしいやんか」
ちなみに、保健委員とは、手洗い場の石鹸の補充や、風邪予防を呼び掛けるポスターを作ったりするのが主な活動である。急患を搬送する救急車的役割はない。
「‥‥そんなん普通先生がやるんじゃないんスか?」
「そうやねんけど、今日は女子の体育の葛城先生がおらんからな。両方とも俺が見なあかんねや。けど俺は教師っていう立場上ここを離れられへん。わかるな?」
そう言うと本郷はもう一度僕の右肩を叩いた。僕は辟易しつつも、わかりましたよ、とだけ答えた。
「ごめんなぁ、うち、重いやろ?」
ぺたん、ぺたん‥‥。授業中の廊下に全く人気はなく、僕の足音だけが無機質に響く。
「いや、大したことない。むしろ軽い方なんちゃう?」
「ほんまに?ちょっと嬉しいなぁ」
おぶった背中から笑っている気配が漂ってくる。
「‥‥でも‥‥」
「でも、何や?」
急に恐縮したような雰囲気を醸し出す。
「‥‥恥ずかしい」
筑波は照れたように言葉を搾り出した。背負った体勢ではわからないが、きっと顔を赤くしているだろうと思った。
「じゃあ、引き摺るのとお姫様だっこ、どっちか選びぃ」
「‥‥このままで、ってのはないの?」
「お前が恥ずかしい言うてるからやんけ」
「‥‥ごめんなさい」