「しちゃう?」-1
ドアが勢いよく開いてひまわりみたいな笑顔が飛び込んできた。
「シュウ。来たか」
(千香ネエ……)
去年の夏以来一年ぶりだが、相変わらずの元気印だ。
「何日いるんだ?」
「一週間。土曜までだから六日。お世話になります」
「何いってんだ、ばか」
千香子とぼくは同い年の十八歳、高校三年生である。彼女の母親がぼくの父の妹で、つまりイトコになるわけだが、千香子は叔父の連れ子で血のつながりはない。二歳頃に母親と死別したという。彼女自身にもほとんど実母の記憶はないだろう。それをぼくが知ったのはつい昨年のことである。だからといって何も変わることはなかった。ぼくらはイトコ同士であった。気持ちの上でもそうである。ぼくはぼくであり、千香ネエは千香ネエだった。
同い年なのに小さい頃から活発な彼女に何かにつけて引っ張られていて、いつからか千香ネエと呼ぶようになっていた。実際、小学校高学年の頃まで、千香子を年上だと思っていた。
ぼくは来年大学受験。志望校は決まっていてそこの推薦枠を狙っている。その学校は論文を重視する。そのため論文だけを指導する夏期講習を受講しに静岡から東京にやって来た。
初めはビジネスホテルにでも泊まることを考えていたのだがたまたまそのことを知った叔母が、お金がもったいないからうちに来なさいと言ってくれたのである。
「論文なんて、あたし大嫌い。よくやるね」
「しょうがないよ。受験に必要なんだから」
「そんなのなくてよかった」
千香ネエはソフトボールをやっていて、体育大学にほぼ推薦が決まっている。将来は実業団か体育の教師になりたいらしい。相変わらず顔も腕も日に焼けている。太ももや腕の筋肉はぼくよりすごい。
ちなみに乱暴な言葉使いはぼくに対してだけである。親の前ではけっこうきちんとしていて使い分けている。別に『いい子』になっているのではない。ぼくに対して親しみを持っているからそうなるのだろうと思っている。
「ますます筋肉ついたね」
千香ネエは二の腕に力こぶを作ってみせた。
「鍛えてるからね。シュウは変わらないな。何これ。十八だぜ」
ぼくの腕を取って軽くひねった。
「痛いよ」
「ひ弱だな。鍛えてやるか」
「いいよ」
ぼくの名は秀一だが、千香ネエはいつもシュウと呼ぶ。
「プロレスやるか」
「やだよ。負けるもん」
ちょっと迫ってきてぼくの足を掴んだが、さすがに本気ではなかった。
「昔、よくやったな」
「そうだね」
昔、といっても四、五年前、中学の頃まで力比べと言いながら技の掛け合いをしたものだった。たいていぼくが降参して終わるのだが、千香ネエは、
「もう一本」と言ってまた挑んでくる。
ぼくが負けたのは彼女の腕力が強かったせいもあるが、正直なところやりずらかったのも事実だ。
小さい頃はともかく、中学生になってからは彼女の体が気になって思い切って闘うことが出来なかったのである。オッパイは大きくなってるし、全体の体の肉も柔らかくて、つい遠慮がちに触れるようになってしまう年頃であった。
千香子はそんなぼくの微妙なためらいなどお構いなしにピチピチの体全体で被さってくる。
「参ったよ、参った」
組み敷かれて手でバタバタと畳を叩く。
「弱いなあ、シュウは」
汗をかいた千香子の体が離れていく。本当はもっと上に乗っていて欲しかった。……胸の奥に仄かな性のときめきが灯ったものだった。
東京の千香ネエの家に来たのは数えるほどしかない。夏休みも正月もたいてい親戚は長男であるぼくの父の家に集まった。
正月はせいぜい一泊か、二泊するだけだったので、ゲームをして遊ぶことしか出来ず、特に思い出というものは残っていないが、夏休みには記憶の鮮やかな出来事がいくつもあった。
自然の中ならぼくの方が勝手を知っている。東京育ちの千香子には負けない。
(びっくりさせてやる……)
いくつくらいの頃だったか、いつもリードされていた彼女に対抗心を燃やした憶えがある。ところが物怖じしない千香子を驚かせることはとうとう出来なかった。
雑木林の藪の中も平気で入っていく。虫は掴めるし、大きなヒキガエルも手に載せて笑っていた。一度など、蛇を捕まえてこっちが驚いたことがあった。
「それ、マムシだぞ。早く逃がせ」
逃げたのはぼくの方であった。
滝つぼに連れていった時にはその度胸に驚嘆して、以後、
(千香ネエには勝てない……)
口には出さなかったが自ら屈伏したものだった。中学二年生のことである。
その滝つぼには飛び込みができる岩が三か所あった。滝から一番離れた所は高さが1メートルほどでほとんどの子供はここで遊ぶ。次は2メートルほどあって、深さも背がたたないくらいだから上から見るとちょっと恐怖を感じる。ぼくは何度も飛び込んでいるから千香子をそこに誘って得意げにジャンプしてみせた。
泳いで浅瀬にいくと、千香子は岩から下を覗いていた。
(怖がっている……)
千香子を帯び込ませようとは考えていない。驚いてくれればそれでいいと思っていた。第一水着の用意もしていない。ぼくは半ズボンだったから見せつけるために飛んだのである。
「シュウ!」
崖に声が響いた。
「この上はどのくらいあるの?」
最も高い岩を指さして言った。
「そっちは危いよ」
笑いながら見ていると千香子は上へとよじ登って行く。
(何するんだ?……)
3メートル以上の高台である。しかも滝の落ち込みに近くて渦が巻いている。過去に子供が溺れて死んだこともあるので絶対に行ってはいけないといわれていた。
「千香ネエ……」
まさかと思いながら見守っているとジーパンを脱ぎ、パンツ姿になると、
「いくよぉ、シュウ」
あっという間に飛び込んだ。淵の中に姿が消え、動悸が高鳴った。周りに誰もいない。
(どうしよう……)
見ているとぽっかり顔が浮かんだ。