アールネの少年 3-6
「アールネでは、制圧した町での略奪行為を許しています」
「それが許せないのか?」
「いいえ」
エイは軽く否定した。
「士気を保つには必要なことだとわかっています。アールネは貧しい国で、恩賞を十分に与えることはできませんから」
ただ、と彼は続けた。
「僕はただ……僕の手であの人たちを差し出すのは嫌だと、思ったんです」
「なぜ嫌だと思った?」
「さあ。どうしてだろう」
深く考えたことはなかった。
さすがに、公弟であるエイの眼前であからさまに家屋を荒らし、捕虜をいたぶるような兵はいない。否、最近はいない、というのが正しい。
幼いうちは意味もわからず、ぼうっとその凄惨な光景を眺めていたエイが、年を重ねるにつれ不快を示して目をそらすようになるのを見て、いつしか捕虜の中で見目の良い婦女を選んで彼の前に並べ立てる者もなくなった。
兵士らと掠奪品を共有し、宴に興ずる将官もいる。しかし、それを咎める気はエイには毛頭ない。それを悪ともとらえていなかった。
自己分析したこともなかったな、と彼は改めて思った。勝手にすればよいというスタンスでいるはずなのに、自分は何が不快なのだろう。
「あまり、その、女の人に暴力をふるうところを見るのは、好きじゃなくて」
「女ね。それにしては、うちの女騎士もかまわず斬り飛ばしていたがな」
シェシウグル王子の声音には皮肉な響きが混じっていた。
「……」
「言葉のアヤだ。気にするな」
彼はけろりと言い放った。エイは知らずうつむいて、彼から目をそらした。
「……闘っている最中は、相手が男でも女でも、子供でも、あまり気にならないです」
気にならない、というより、気付かないというのが正しい。
斬った相手の属性など、一人として気に留めたことはなかった。
シェシウグル王子が初めてだったのだ。あんなふうに戦場で一個の人として目に飛び込んできたのは。
「だろうな。目つきが尋常じゃなかったんで、ちょっと寒気がした」
「よく言われます……」
「こうしてしゃべってみると、まあまあ普通なんだがな」
王子は不意に顔を近付け、まじまじとエイを眺めた。
「あ、あの」
エイは戸惑った。間近に見たシェシウグル王子の目は不思議な色合いをしていた。ほのかに青みをおびて暗く、眼窩の奥に深い淵が続くかのようで、見るほどに目が吸い寄せられる。
あのときわずかにでも戦闘の忘我から意識が浮上したのは、この目の色のせいだったのかもしれない。色と、それから力強い、優しい光との。彼の目はただの身体についた視覚器官ではなかった。その体内で強固に主張され発信される、意思の窓。
「僕はその……そんなに、おかしな目つきでしたか」
「目つきというより、顔つきだな」
おかしな、というところは否定せず、シェシウグル王子は頷いた。
「アハトや幼なじみの娘がもっとチビのころ、人間にまるっきり興味がないって顔をしていたのと似ている」
彼はふとなつかしそうに遠い目をした。
「久々に思い出した。自分がまるで、訓練用にぶった切られるのを待つだけの藁人形にでもなった気にさせられるんだ。そんな顔だった」
彼のいうことは、エイにもわかる気がした。
砦で目覚めたとき直面した、自分を見下ろすアハトの視線がまさにそれだった。
「あいつらは成長して、少しは庇護対象への慈悲ってものを覚えたが」
シェシウグル王子は意味ありげに言葉を切り、エイに視線を向けた。
「慈悲……」
「他人より無駄に強いと、視点が変わるのは想像がつく。人なんぞ虫けらにしか見えないんだろうな。連中とはスケールが違うが、お前も同じようなものだろう」
「と、とんでもない」
あれほどの人外の力と比較されるのはあまりに面映ゆい。エイはあわてて否定した。
「お前くらい闘えれば、怖いものなんかないだろ」
彼は力なく首を横に振った。
「怖いものだらけですよ……」
幼い頃の彼は、それこそ生活に支障が出るくらい、多様な恐怖症を抱えていたものだった。猫も杓子も恐ろしくて、自分の部屋ですら安心できず隅で震えながら眠っていたほどだ。これでもだいぶ克服したのだ。
「何が怖いんだ?」
「えっ……その、虫とか、蛇とか……」
「おかしなやつだな」
蛇とか、のくだりで、シェシウグル王子はおさえきれぬようにククッと笑い声を洩らした。
「取って食われるでなし、何をそう恐れる。怖いと思ったら殺してしまえばいいだろう」
「そんな乱暴な」
冗談のつもりなのかよくわからない極論に、エイは目を丸くした。
「何が乱暴だ。人間を殺すよりずっと簡単なはずだぞ」
「でも、僕は人を殺したことなんて……」
そういった途端、シェシウグル王子が不意に表情を変えた。
沈黙したまま、奇妙なものを見る目つきでエイを見つめる。居たたまれなくなって、エイは口を開いた。