ラインダースの系譜-3
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(――多分あれが、考古学者になるきっかけだったなぁ)
白銀の雪に覆われた夜の森を、ギルベルトは四足で走っていた。
故郷のフロッケンベルクを訪れたのは、本当に久しぶりだ。澄んだ夜空には無数の星が瞬いているが、新月は糸のように細い。
深い雪の積もる山奥には、民家の一軒もなく。狼に変身して走っても心配はなかった。
バーグレイ・カンパニーからの依頼で、十二月の新月夜にだけ実をつける、不思議な木の実を採取しにきたのだ。
『氷の実』と呼ばれるそれは、氷製の林檎のような形をしており、夜のうちに摘み取れば一年間は形を崩さず、どんなに熱い部屋でも心地良い冷気で周囲を冷やし続ける代物だ。他にも薬品の材料として様々な使い道がある。
雪深い山奥へ、夜中に採りに行かなければならないので、昔は殆ど入手不可能とされていたが、現在では養殖栽培も可能で、価格も安定している。
だがウリセスが担当した今回の依頼主は、天然の実を欲しがっているそうだ。
フロッケンベルク王都からほど近い山奥に、この樹が生えているのを知っていた。
この山の中腹には、祖父の所有する山荘がある。故郷にいたころ、満月期にはよくここを訪れ、狼になって母や兄と夜の山を走っていたのだ。
一緒に来たエメリナと祖父は、ギルベルトが戻るまで山荘で待ってくれている。
獣の四足で深い積雪の上を駆け、ギルベルトは森の奥深くへと進んでいく。
うっそうと立ち並ぶ針葉樹と星明りだけの森は、進んだ時代の手が入っておらず、はるか昔から変わっていない。
その昔、北の山脈を支配していた人狼たちは、この森を自在に駆けまわり、月に向って咆哮していたのだろう。
どこまでも続く幻想的な雪の森に、昔の時代へ迷い込んでしまったような気分になる。
(――あった)
少し森が開けた場所に、ぽつんと一本外れて立っている樹がある。しらかばのような白い樹皮に覆われ、葉は一枚もつけていない。雪を積もらせたしなやかな枝の先に、美しい氷の実がきらめいていた。
走る速度を少しあげた時、傍らの木立から、矢のように走り出た影があった。
(人狼の子ども!?)
飛び出した影は、暗灰色の毛皮をした雄の子狼だった。それもただの狼ではなく、同じ人狼だと本能からすぐに解った。
まだほんの少年のようだ。琥珀色の瞳が、チラリとこちらを見た。
狼姿でははっきりわからないが、毛皮と瞳の色のせいか、ギルベルトの少年時代に、よく似ているように見えた。
やはり向こうも驚愕の色を浮かべ、雪煙を立てて四足を踏みしめ、警戒も露に向き直った。
「……あんた、他部族の人狼か?」
少年狼の発する狼の言葉に、ギルベルトも狼の言葉で質問を返す。
「部族? 俺の他に、もう完全な人狼は残っていないと思っていたが……」
ドクドクと胸の鼓動が高鳴るのを感じながら尋ねた。
最後の人狼部族がこの地を追われてから、もう数百年が経っているはずだ。純粋な人狼はもういないとされている。
しかし、ギルベルトやジークのような例もあるのだ。
誰も知らないだけで、もしかしたら人狼の部族が残っていたのだろうか……?
少年狼はギルベルトの荷物を見て、小首をかしげた。
「随分と遠くからきたみたいだな。この辺りにも人狼は少なくなったけど、俺の生まれた部族は、まだ残ってるよ」
「そうか。俺はギルベルト・ラインダース。今はイスパニラ王都に住んでいる」
君の名は?と聞く前に、少年狼は素っ頓狂な声をあげた。
「イスパニラ王都ぉ!? それじゃ何日も走り詰めだったろ」
「――え? いや、特急列車を使ったから、ほんの十五時間で着いた」
昔は冬の間、氷雪と森林の天然城砦で封鎖されていたフロッケンベルク王都だが、大陸横断鉄道が敷かれた今では、年間を通して各国との行き来が可能だ。
「とっきゅう? れっしゃ? なんだよそれ」
首をかしげる少年狼に、今度はギルベルトが目を丸くする。
彼は山奥に隠れ住み続け、外界と完全に隔離された生活でも送っていたのだろうか?