桜時の誘惑-1
春。この季節の象徴と言えば、やはり桜であろうか。学校の校門から玄関まで続くメインストリート。それに沿って威風堂々と鎮座する桜の木々。
時折吹き付ける春風に、薄桃色の花びらが宙空へと舞い上がる様は、まさに日本の四季の象徴だ。
そして、春は出逢いと別れの季節。
学園生活での幾多の思い出を胸に抱き、温かな泪とともに旅立つ卒業生。
そして、また新たなる希望を胸に、誇らしげに新しい学校へと向かう入学生。
桜はそんな旅立ちを迎える生徒や出逢いを迎える生徒を見守ってきた。いや、それだけではない。桜は、明るく学園生活を送る生徒らの毎日を見守っているのだ。
──優しく、包み込むような眼差しで。
「……それでは次の授業の始まる前に当てられた問題を黒板に書いておくように。じゃあ、終わろう」
「起立、礼」
チャイムが鳴るのとほぼ同時に3校時目が終わる。我がクラスの数学担任である永木先生は解りやすいことは解りやすい教え方なのだが、何分進行ペースが早く、少しでも気を抜くとついていけなくなり、テストで地獄を見てしまうのだ。
だが、今は春。何となく感じる気だるさに身をまかせ、ついつい惚けてしまうものだ。今日だって、居眠りするヤツがちらほら。
俺の席は教室の中央最後尾。よって全体を見渡すのは容易い。今日の授業では、6人が爆睡した。
まぁ、大概寝るのは常習犯であるから、そこのところは見慣れたもので、永木先生は無視して授業を続ける。赤点取っても“自己責任”と言いたいのだろう。
だが、俺の幼なじみ、小松島隼斗はそんな常習犯の一人で有りながら、テストではトップ近辺の成績をかっさらう。──何となく漠然と許せない気がするのは俺だけだろうか。
「ふぁ〜あ……、やっと昼休みか」
かく言う俺、中野純一も危うく寝ちまうところだったが。でも寝てはいないからまだマシ。
とりあえずノビをする。まだ脳細胞がうたた寝しているようだ。
──この時、俺は気付かなかった。背後に迫る影に。
「ぎゃっ!?」
急に脇腹を捕まれる。思わず珍妙な声を上げ、おまけに体はこれまた妙な曲がり方をした。派手に体勢を崩し、椅子から転がり落ちそうになる。
「ぷっ、純一って相変わらず脇腹が弱点よね〜」
犯人が誰か、後ろを見て確認しようとしたが、その声で判断できた。その声は何度も聞いた、俺の幼なじみ兼一番大切な女(ひと)の声──。
「何だ、梓か」
そう、菅原梓、その人だ。
「何だ、は無いでしょー、折角目が覚めるだろうと思ってやったげたのに」
「だからって、いきなり脇は無いだろ」
「まあまあ、そう怒らない。そんなことよりさ、ねぇ、お弁当。今日は屋上で食べない?」
「屋上?」
言われて外を見る。
空は雲ひとつない、まさにスカイブルーが鮮やかに彩られ、ほんのりピンクに染まった春の風がそよそよと流れていた。
「……そうだな、そうするか」
「オッケー、じゃあ早速行こう!」
そう言うや否や、梓は俺の腕を掴み教室を出ようとする。
「ちょ、ちょっと待て! 俺まだ弁当持ってねえよ!」
弁当を持たずに、というか持たせずに、梓は俺を屋上に連れていって何をしようというのだろうか。危うく俺の弁当はカバンに置いてけぼりにされるところだった。