女子大生 成宮恵理-32
恵理が部屋に戻ってくると、クローゼットに隠れていた悠一郎がノソノソと出てきた。
「行った?奈々。」
「……うん。」
「いやぁ、今のはマジで危なかったな。こんなに焦ったの久しぶりだわぁ、ハハッ。」
間一髪の危機を免れた安心感からなのか、笑っている悠一郎。
しかしそれに対して恵理の表情はひどく暗いものだった。
これからどうしたらいいのか、という言葉が呪文のように恵理の頭の中を駆け巡っている。
この苦しさに、独りで耐え続ける事は難しい。
だから今、恵理が頼る事ができるのは目の前にいるこの男しかいないのだ。
「……ねぇ、悠一郎君……私たち、これからどうしたらいいのかな……?」
恵理は自分を責め、悩み切った表情で弱々しく、そして縋る(すがる)ような気持ちで悠一郎にそう聞いた。
しかしそれに対し悠一郎は、時計を見ながらしばらく考えるような素振りを見せてこう返した。
「うーん、そうだなぁ……とりあえず俺、帰るわ。」
「え?」
思ってもみなかった返事と、その素っ気なさに一瞬呆気にとられる恵理。
聞きたいのはそういう事じゃないのに。
「いやだって、また奈々が来たらヤバいじゃん?」
「う、うん……そうだけど、でも……」
「大丈夫だって、こっそり出ればバレないから。」
「あの、そういう事じゃなくて」
「とにかく、あんまり余計な心配すんなって、な?」
そう言って悠一郎は恵理の肩を励ますようにポンポンと叩くと、帰る準備を始めた。
確かにまた奈々が来たら大変だ。
恵理も今はこれ以上悠一郎に何か答えを求めるような事はできなかった。
「じゃあ俺、帰るな。」
「う、うん……」
そして悠一郎は玄関へ向かい、音を立てないようにドアを開けると、体勢を低くしながら部屋を出ていった。
悠一郎が居なくなった恵理の部屋は、まるで嵐が去った後のようにシーンと静まり返っていた。
そう、悠一郎は昨日の台風のようにこの空間を掻き乱して、そして何事もなかったように風に乗って去って行ってしまった。
昨日見たもの、感じたものは夢だったのか。そんな風に思ってしまうほど、悠一郎と身体を重ねていた時間とのギャップを感じてしまう。
しかし、このまま虚ろな気持ちでボーっとしている訳にはいかない。
奈々に呼ばれているのだから。
恵理は髪をドライヤーで乾かしてから、テーブルの上の空き缶やコンドームの袋などのゴミを捨てたり、ベッドのシーツを外して洗濯機に入れたりして、軽く部屋の掃除を済ませた。
そして窓を開けて部屋の空気を入れ替えて、少しの間ソファに座って心を落ち着かせると、恵理は奈々の部屋へ向かった。
奈々の部屋に行くのは正直とても気が重かったけれど、それでも行かなきゃいけなかった。
「おっそーい恵理。もういいとも終わっちゃうよ、何してたの?」
「う、うん、ちょっとね。あ、お菓子美味しそう!貰っていい?」
「どうぞどうぞ、だって恵理に買ってきたんだし、もう半分私が食べちゃったけど。」
恵理は奈々の前ではなるべく以前の自分でいられるように演じた。
悠一郎と奈々が付き合う前の自分を。
そんな恵理に対して奈々は実に自然な笑顔を向けてくれていた。
恵理はここ数か月、悠一郎の恋人である奈々と随分心の距離を置いていたけれど、奈々の方は何も変わっていなかったようだ。
きっと今も親友だと思ってくれている。
そして恵理にとっても、やはり奈々は掛け替えのない親友なのだ。
それが改めて分かって、余計に心が苦しくなる。
奈々は別のスナック菓子も持ってきて、それを食べながらバラエティ番組を見て笑っている。
恵理もそれに合わせるように一緒に笑っていたのだが、途中でとうとう耐えられなくなって泣き始めてしまった。
「アハハッ、もう面白過ぎ!ツボに入り過ぎてヤバいよぉ。ねぇ恵理……えっ?えっ?どうしたの恵理!なんで泣いてるの!?」
「ぅぅ……ごめん……ぅ……ごめん奈々……」
「どうしたどうした?え〜なんで謝るのぉ?よしよし。」
そう言って奈々は泣き続ける恵理を、小さい子供をあやすように抱きしめて頭を撫でた。
奈々に抱きしめられながら、恵理は自分の事をズルい女だなとまた己を責めたが、それでも涙は止まらなかった。
「何か辛い事でもあったの?私で良かったら相談のるよ?ん?」
「ぅぅ……ごめん……違うの……ごめん、ホントごめん……」
奈々は只管優しい言葉を掛けれてくれたけれど、恵理は泣きながら謝り続けるだけで、やはり奈々に本当の事を打ち明けることはできなかった。
どれくらい泣き続けただろう、さすがに奈々も少し困惑していたようだったが、時間が経ち、やっとのこと恵理が泣き止むと、暖かい紅茶を入れて出してくれた。
「少しは落ち着いた?」
「……ごめん、ありがとう。」
沈んだ表情の恵理に、奈々は何かを察したのか、それ以上泣いてしまった理由を問いただすような事はしてこなかった。
もちろん、恵理と悠一郎の事について勘付いてしまった訳ではない。
それは友人としての察し、なのだろう。いくら親友でも人の心に踏み込み過ぎてはいけないという。
奈々はただ一言、「私に何かできる事があったら、いつでも言ってね」と言って、恵理を自室に帰してくれた。