温泉休暇の大騒動-10
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人々は悲鳴をあげ、凶暴な豚魔獣を前に、なす術もなく旅館の中を逃げ回り始まる……少なくとも、雪の降り積もる庭で鞭を片手にニヤついている魔獣使い達の予想は、そうだった。
最後のオークを送り込み、中から響く激しい物音にほくそえんだ時だ。
「―――――っの、豚がぁぁぁぁ!! 失せやがれぇぇ!!!!」
凶暴な咆哮と共に、ぶちのめされたオークの巨体が、彼ら自身の開けた穴から飛び出てきた。
宙を舞った二百キロはある巨体が、運の悪い飼い主の一人を、雪の中に潰しこむ。
「あ!?なんだぁっ!?」
残りの魔獣使い達は、今までオークの巨体が邪魔で見えなかった室内の様子を、初めて目の当たりにした。
武装した兵士など、ただの一人もいない。浴衣と下駄に羽織姿の男たちが、十数人ほどいるだけだ。
……ただし、その温泉客たちは、頑丈さと凄まじい腕力で知られるオークを、素手でぶちのめしている。
「家族旅行を台無しにしやがって!!」
「必死でもぎ取った休暇を……命で償いやがれ!!」
「退魔士なめんなゴルァァァ!!!」
「た、退魔士……?」
予想外の光景に、魔獣使いの頭が混乱する。ふもとに在中するこの町の退魔士は、人数も小規模で実力も低いのは、きちんと調べてあった。
しかし、ここで退魔士を名乗っている男たちは、あきらかにランクが違う猛者……しかもどうやら、あからさまな私情から怒り心頭の様子だ。
おまけにホールの端に避難している女子どもまで、脅えるどころか大喜びで退魔士たちを応援している。
「パパ、かっこいい!!!!」
「あなた、見直したわ〜っ!!」
「お父さん、オークなんかやっつけちゃえ!!」
家族から声援を送られた退魔士たちは、ますます張り切り、情け容赦なくオークを再起不能にしていく。
「ひ……っ!」
信じられない展開に、残った魔獣使いの一人は腰を抜かした。
最後の二人は、護身用の銃をなんとか引き抜く。
しかし銃口を向けるより早く、暗灰色の髪をした青年と短い金髪の青年が、同時に大きく足を振り上げた。履いていた片足の下駄を、凄まじい勢いで飛ばず。
二つの硬い下駄は、それぞれ狙った魔獣使い達の顔面へ命中し、鼻骨をへし折った。
顔面を押さえて絶叫し、犯罪者たちは雪の中に沈んだ。
「……ほう、東の靴は武器にもなるのか」
退魔士の隊長が感心したように頷き、旅館内の客からパチパチと拍手があがる。
動けるオークたちはもう一頭もおらず、太った身体をだらりと床に伸ばし、気絶していた。
「チっ……今回は邪魔が入っただけで、負けてねぇからな」
「ああ、引き分けだ」
ジークとギルベルトは小声で囁き合い、雪の中を片足で跳びながら、下駄の回収に向った。