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蒼い日差し
【その他 官能小説】

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蒼い日差し-9

 何だかとても疲れて、いつ眠ったのかも憶えていない。
目が覚めたのはまだ五時前、彼女は寝息を立てていたが、風呂から戻ってくるとすでに身支度を整えていた。

「とりあえず挨拶をしたんだが、重苦しい雰囲気で弱った……」
「それはそうだろうな」

 窓辺の椅子に身を沈めた彼女はサングラスをかけていた。まるで昨夜の自分をひた隠すように……。自分の布団だけ畳んで隅に置かれてあった。二人の情交を吸い取った布団……。
 化粧も済ませていたと思うが顔色はくすんで見えた。

「朝食まで何を話して過ごしたのか、さっぱり記憶がない。テレビをつけていたから、きっと二人とも観るともなく画面に目を向けていたんだろう」
「センセイっていうのは誰だろう」
「さあ……ああいう業界にはセンセイって呼ばれる人間は多いみたいだから……」
「本当にキスマークだったのか?何かの皮膚病とか……」
「まちがいない。内出血の痕だ……よく見たら内股や尻にもあった……」
「そうか……」
男が女にそれほどの行為をするとは、私には想像を超えた情欲であった。


 青森まで出て、降り立ったホームで彼女はサングラスを外した。
「いろいろありがとう。楽しかったわ」
それは別れの言葉だった。俺はこの日の夜行で帰るのだが、列車が出るのは夕方だ。どこかを見て回る時間は十分ある。だがそんな気にはなれない心の重みがあった。

「これからどうするの?」
「うん……連絡船に乗ってみようかな。乗ったことないし。昨日から考えてたの」
「北海道……」
「そう、北海道……」
昨夜のことは夢だったのだ。そう考えざるを得ないほど気品漂う眼差しをみせた。
「すぐ、行くの?」
「うん。……何時に出るのかわからないけど」
「送るよ。時間もあるし」
彼女は笑わずに言った。
「ここでお別れしましょう。哀しくなる気がするから……」
そう言って手を差し出した。その手はひんやり冷たかった。
「ほんとにお世話になったわ……」
サングラスをかけるとやさしい目が消えた。
「あなたとお会いしたこと、胸にしまっておきます。だから……」
「僕もそうします……」
「あいがとう……」
踵を返すと彼女は二度と振り返らなかった。


 諸岡の顔を見つめながら、私はN・Yの『騒動』がいつのことだったか、思い出していた。人気女優が突然雲隠れして、のちにアメリカにいることがわかった。その時、すでに私生児を産んでいて彼女は事実上引退し、芸能界から姿を消したのだった。あれはいつのことだったか……。

「今の話の翌年のことだ」
「翌年……まさか、その子供……」
「それはないだろう」
諸岡は鼻で笑うように言ってから、
「だけど、面白いのはさ……」と続けた。
「その娘……」
N・Yが産んだその時の娘は、現在中堅女優としてそこそこの活躍をしている。
「名前を知ってるだろう。N・峡子」
「ああ、知ってる」
「どう思う?」
「どうって?」
言おうとしている意味がわからない。
「それが?」


「峡子……海峡の『峡』……」
「……津軽海峡?」
諸岡は含み笑いを見せた。私は小さく噴き出した。
(何だ、オチがあったのか……)
話を聞きながら半信半疑ではあったのだ。初めはもちろん作り話として聞いていた。そのうち少しずつ引き込まれていったのは、思いつきでは語れない表現や描写を感じたからである。
(しかし、結局……)

「今夜はよく飲んだな」
布団にもぐりこみながら言うと、諸岡も頷いてから、欠伸を噛み殺しながら独り言のように呟いた。
「青森湾……日差しが蒼くて眩しかったな……」
 何気なく通り過ぎた言葉が頭の中で立ち止まった。そして振り返った。
(蒼い?……)
諸岡は布団を被って背を向けていた。

(この話、本当かもしれない……)
感覚的な閃きのようなものだ。
 日差しが蒼いと諸岡は言った。八月の盛夏である。日差しに色はないが、表現するとすれば暖色系になるはずではないか?
 蒼くて眩しい日差し……。込み上げる激しい想いと切ない心の揺らめきがあったからこそ紺碧の海が日差しに染まって見えたのではないか。そう思えてならなかった。作りごとで言える色ではない。

 見たこともない青森の海の光景が広がった。そうして、諸岡はいまどんな顔をしているのだろうと彼の布団を窺ったが、私はもう眠くて仕方がなかった。


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