蒼い日差し-6
(3)
朝食の席で会話が途切れがちになったのは致し方のないことだったと思う。昨夜の気まずさと、夜に向かっての期待と不安が混然となって想いが揺れていた。努めて明るく話しかけていたつもりだし、彼女も笑顔を見せてはいたが、どこかしら作ったような不自然さは否めなかった。
青森へ出て八甲田、十和田湖をめぐる予定を組んでいた。
東能代へ出て五能線に乗り換える。青森へ行くには奥羽本線を使った方が早い。しかしあえて五能線の各駅停車を選んだ。できるだけゆっくり、彼女との時間を共有したい。一日の時間は何に乗ろうと同じだが、遅いほうがより充実するような気がした。ゴトゴトと鈍い震動が足元から響くローカル線の旅。地元の人がまばらに乗り降りする閑散とした車内で日本海を眺めながら彼女と話がしたい。残された一日、彼女を自分だけのものとして感じていたい。初恋にも似た一途な想いだった。
ところが列車は通路が埋まるほどの混みようであった。始発だったので座ることはできたが、向かい合ったまま、まともに話もできない状況となった。
ほとんどが若い観光客である。彼女は俯いて、サングラス越しに目を向けては苦笑を送ってきた。
どの辺りだったか、通路にいた客の中から、
「N・Yじゃない?」とひそめた声が聞こえた。その言葉が伝播するのに時間はかからなかった。
彼女の周囲がざわつき、俺たちは上目使いでで視線を合わせた。
「N・Yさんですか?」
隣の女の子が遠慮がちに顔を少し寄せて言った。彼女はやさしく微笑んだ。ごまかすのは無理だと思ったのだろう。
「はい……」と頷き、頭を垂れた。
とたんに黄色い声があがり、男たちの低いどよめきが続いた。
「N・Yだ」
「N・Yが乗ってる」
次々と伝わっていく。
「撮影ですか?」
「サインください」
一人が握手を求めて手を伸ばすと、我も我もと続く。
「わかりました」
彼女は笑顔を見せて要求に応じていく。
「撮影じゃないけど、取材なの。彼、マネージャー」
とつぜん手のひらを向けられて俺は身を硬くした。
車内はちょっとした騒ぎになった。サインを求める声は伝言ゲームのように続き、どう収拾したものかと混乱していると彼女が立ち上がった。
「次で降りるの。通してくれますか?」
バッグを網棚からおろすと俺に目配せをして混み合う通路に身を入れた。
「ファンです」
「ありがとう。通してね」
満員の人込みを縫いながら汗だくだった。
彼女が進み、その顔を間近に見た乗客から溜息混じりの声が洩れ、あちこちから手が伸びてくる。求めに応じながらも強引に進まなければ抜けることができない。
何とかデッキまでたどり着いたが、そこも人で埋まっている。
「映画観てますよ」
「ありがとう」
愛想を振りまいてじっと待つしかなかった。
ようやく駅に着き、ホームに降りると窓からは箱詰めのリンゴのように顔々が覗いていた。
手を振りながら足早に出口に向かう彼女の後をあたふたと追った。
『とどろき』という小さな駅だった。
「よかった。タクシーがあるわ」
旧い型式の車が一台停まっていた。
改札を出て振り返った彼女の素早い身のこなしは映画の一場面を観ているようであった。
「青森まで」
彼女が告げると、初老の運転手は間をおいてから顔を向けた。
「青森?」
「駅でいいわ」
「駅?だいぶあるよ。乗り遅れたかね。一時間待てば来るよ」
「いいの。行って」
青森まで何キロあったか忘れたが、タクシーを使う客はまずいないだろう。
「さすがだね。人のあしらいがうまい」
「シ……」
彼女は口に手を当てて身を縮めた。