十字刻印の専属英雄-3
「イかれてると思うなら、笑ってもいいぞ」
しかしウリセスは笑わなかった。
「ギルも、貴方と同じものを見たそうです。もっともエメリナは、貴方達が夢中で戦っている姿しか見えなかったと言っておりますが」
そして彼は鞄を探り、携帯端末を取り出すと、電源を入れた。
「そうそう。彼女から伝言です。
今後、貴方がギルに手出しをするなら、これを即座に全世界の動画サイトに投稿すると」
「――あ?」
動画が再生され、薄暗い部屋にジークの顔がボンヤリと映っている。
『……退魔士は、皆の安全を守る立派な人達だと思ってたのに……女の部屋に無断侵入したあげく、縛り上げて脅すなんて、幻滅したわ』
聞き覚えのある会話が、端末のスピーカーから流れ出た。
『退魔士は皆こうなの?それとも貴方だけ?中央西区署・第五部隊所属のジーク・エスカランテ一級退魔士さん』
『うちの隊長なら、死んでもやらないだろうさ。何しろ正義感の塊だ』
ジークの自身の声も、はっきりと録音されている。
『だがな、俺は魔獣を殺すために退魔士をやってるだけだ。テメェらの英雄を気取った覚えはねーよ。都合の良い時だけ勝手に期待してすがるな』
そこまでで、短い録音は終了していた。
「あ、あ、あの、腹黒電脳ハーフエルフっっっ!!!!」
ネット接続は切られていると、油断したのが間違いだった。
おそらくは日記を見られたと憤慨して布団をひっかぶった際、素早く撮影機能を起動したのだろう。
しかもこの会話では、ジークの名前と所属だけがはっきり出て、エメリナたちの情報は一切ない。
これを世界中にバラまかれれば、教皇庁へは膨大な非難が集中するだろう。
もちろん第五部隊は全員、酷い巻き添えを喰らうし、下手をすればジークに懐いていたことで、マルセラにまで影響があるかもしれない。
単純な力技なら、ジークの方が絶対に強い。
だが貧弱なハーフエルフの女は、自分の得意技を駆使し、密かに反撃の準備を整えていたわけだ。
貧弱と非力は違うのだと、あの女に高笑いされた気がする。
「エメリナはあれで、抜け目がありませんよ。
結果的に彼女は貴方を救いましたが、それに対するリスクと対処も心得ております。少々ぬるいですが上出来ですね」
端末の電源を切り、ウリセスは満足そうに頷く。
「電信とは偉大ですねぇ。中世なら一般市民の告発など、役人が即座に握りつぶせましたが、今では一瞬で全世界に叫べるのですから。
もちろん、危険な諸刃の剣ですがね」
「……心配しなくても、もう手出ししねぇよ。そういう約束だ」
ジークは呻く。悔しいが、あんな動画がなくても、手出しする気はない。
ギルベルトは強く、完敗だった。
満月夜の決闘では、万が一に敗者が命を取り留めても、勝者に以後は決して逆らえない。
それが人狼の理だと、祖先の亡霊たちは消え去り間際に、それをジークへ深く刻み込んでいった。
「賢明なご判断を、感謝いたします。なにしろ僕の悪質さは、エメリナより数段上ですよ」
ウリセスの秀麗な口元に、寒気のするような極悪の笑みが浮かぶ。
「貴方のように、都合の悪い過去も隠さないタイプは、少々追い詰めにくいのですが、攻めようはありますからね」
「まだなんかヤル気だったのかよ」
嫌な予感に、ジークは顔を更に引きつらせた。
「ええ。これ以上、僕の残業を増やすのでしたら、王女誘拐容疑で、国際指名手配犯くらいにはなって頂きましたね」
「おいおいおい!?」
「何しろフロッケンベルクの王女さまは、先日のお忍びを中断されてカンカンでしてね。埋め合わせの冒険をさせろと煩いのですよ」
「……いやはや。バーグレイ・カンパニーってのは、とんだ悪魔の巣窟だな」
顔をしかめて毒づいた。どうやら知らずに、北国の王家まで敵に回していたようだ。
「滅相もない。当社員の98%は、ごく善良な一般市民ですよ」
残り2%に該当するらしい悪魔青年は、ニコリと微笑む。
そして鞄と大量の空箱を詰めたビニール袋を持って、病室を出て行った。