凶暴回帰の満月夜-10
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――強烈な開放感と歓喜。それから死闘の興奮が、ギルベルトを支配していた。
今まで、狼の姿で戦ったことは数え切れない。レンジャーの仕事には危険がつきもので、よく魔獣や物騒な人間に襲われた。
だから、危険地帯には狼の姿で赴くことが多く、いつも一人で行くしかなかったのだ。
手ごわい相手と戦う時、妙に気分が高揚するのをよく感じていた。
しかし今夜の戦いに比べれば、先日のドラゴンさえも児戯に等しい。
身体中を駆け巡る血脈が、戦えとひたすらけしかけて来る。
ジークも同じなのだろう。片腕を失ってもなお、ひるむことなく不屈の闘志で向ってきた。
これぞ紛れもない人狼だと、祖先の亡霊たちが喜びざわめく。
ジークが倒れ伏し、勝敗はついたが、満月夜の決闘祭はまだ終わらない。誇り高い人狼の死闘は、最後に相手の息の根を止めて、完遂されるのだ。
それを妨害したハーフエルフの少女に、亡霊たちは怒り狂った。
『脆弱種の分際で、決闘祭の邪魔をするとは!!』
『許せぬ大罪だ!!』
『こいつを殺せ!!』
ギルベルトが前足を乗せただけで、ハーフエルフは動く事も出来なくなった。
(脆弱だな。ひ弱な種族だ……)
彼女が知り合いだと、どこかぼんやり覚えている。
けれど興奮にたぎりきった頭には、大したことでないように思えた。
ともかくコイツは、人狼の神聖な決闘を邪魔した。祖先たちの言う通り、その死で償うべき大罪だ。
恐怖のためか、ハーフエルフは青ざめ涙を流していた。血の気の引いた唇が、震える声をつむぐ。
「先生……っ!」
ハーフエルフは、何度もギルベルトをそう呼んだ。
――そうだった……彼女は俺を、そう呼んでいたな……。
どこか居心地の悪いような、くすぐったい呼ばれ方だ。親しげなくせに少し他人行儀で……実のところ、勘弁してくれと思った。
それでも、彼女の屈託ない笑顔が、あまりにも可愛らしかったから、まぁ良いかと思った。
おぼろげに霞んでいた記憶が、パズルのように細々と組み合わさっていく。
彼女はとても優秀で、キーボードを魔法のように素早く打つとか。
ギルベルトがどんなに機械を扱えなくても呆れなかったとか。
ゲームが好きだとか。
料理は作るより食べるほうが好きとか。
厄介な携帯電話さえも、彼女がすぐ直してくれるから、それほど憂鬱ではなくなったとか……。
そして何より、彼女の傍にいれば、荒んでビリビリ痛む神経が、不思議なほど和らいでいく。
――ああ、だから、俺は……彼女がいてくれるなら…………。
エメリナの胸元めがけ、牙を剥く。
両手首を戒めていたロープへ、慎重に噛み付いた。
ロープは酷く頑丈で嫌な味がしたが、人狼の牙は強力だ。ほどなく切れて解ける。
響き渡る祖先たちの声が、急速に薄れていった。
まだ興奮は完全に冷めず、人型に戻ることさえ出来なかったから、エメリナの首筋にそっと鼻先をすりつける。
彼女は呆然とし、まだ状況が飲み込めていないようだった。頬を舐めると、ようやくハッとした表情になり、急いで上体を起こした。
すみれ色の瞳に、新しい涙がみるみるうちに盛り上がっていく。
「ひ、ひっ……く……先生……先生ぃぃっ!!!」
大泣きしながら飛びつかれた。
彼女はハーフなのに、エルフよりも殆ど人間よりの外見をしている。しかし、だから美しくないなど、とんだ誤解と偏見だ。
ほら、顔中を涙を鼻水でグシャグシャにしながらも、こんなに可愛くてたまらない。