一騎当千の不良退魔士-2
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一方で、事件の風化を苦々しく思う存在もいた。
イスパニラ王都は広く、多数の地区に分類されている。
各地区には学校、警察署、消防署、区役所などが設置され、それぞれの役割を果たしていた。
そして入り口に銀十字架の紋章を掲げた建物が、退魔士達の常駐する聖剣署である。
中央西区の聖剣署は一際大きく、常駐する退魔士部隊も多い。
大食堂や会議室もあり、地下には非常災害時の食料庫に武器庫、防音完備のトレーニングルームも設置されていた。
「遅い!!グズグズするなっ!!魔獣は待ってくれんぞ!!!」
結界を張ったトレーニングルームで、五番隊の隊長が太い咆哮をあげる。
上着を脱ぐと、盛り上がった筋肉がいっそう目立つ。拳を布で保護しただけの素手だが、訓練用の棍棒を持った部下の方が、完全に引け腰だった。
何しろクマ親父のような隊長の拳は、凶器となんら変わりない。特に、今のように全身から怒りのオーラを煮え立たせている時は、余計にその獰猛さが増す。
はっきり言って、そこらの魔獣よりよっぽど危険生物な上司である。
「隊長、捜査の打ち切りが、よっぽど悔しかったんだなぁ……」
吹っ飛ばされた部下が、隣りに倒れている同僚へ小声でぼやいた。
同僚は頷き、密かに舌打ちする。
「ったく、真面目すぎんだよ。上がお終いって言うなら、それで良いじゃねーか。俺たちは現場で命張るだけで、十分だっての」
隊長が荒れている原因は、三週間前のドラゴン騒動だ。
度重なるニュースに事件が埋もれようと、現場に直接駆けつけ、事件を担当した五番隊は、引き続き捜査にあたっていたのだが……。
今朝、上から突然の命令で、捜査の打ち切りが決定したのだ。
素っ気無い書類一枚を突きつけられ、狼の危険性を主張する隊長の反論には、まるで耳を貸されなかった。
「貴様らでは訓練にならん!ジークはどうした!?」
部下が全て床に倒れると、隊長はやけに手ごたえが無かった理由に気づく。
第五部隊のうち、自分と素手で互角に渡り合えるのは、彼くらいだ。
ジークと会ったのは、もう十年ほど昔。
当時の彼は、未成年留置所に常連の不良少年で、この付近で乱闘騒ぎとなると、大概は彼が中心だった。
余りの凶暴さに警察が手を焼き、救援要請を受けるたび、魔獣捕獲用のロープで拘束したものだ。
捕獲と投獄を繰り返すうち、その腕っ節を腐らせるのは、あまりに勿体無いと、身元引受人になり、退魔士の養成所に叩き込んだ。
更正など不可能と見られていたジークだが、退魔士の職が非常に向いていたらしい。生きがいを見つけたと喜び、隊長自身が驚くほど、彼は変わった。
問題児ではあるが、ギリギリの秩序は守るようになり、今では一騎当千の凄腕退魔士として有望株だ。
辺りを見渡していると、足元で部下がうめいた。
「げほっ……あ、あいつは、午前中で早退しました……三日間、有給とるそうです……」
「な、ん、だ、と……!?」
隊長の額に、ビキビキっと青筋が浮かぶ。
「許可した覚えはないぞ!」
「お、俺に怒らないでくださいよぉっ!」
片手で襟首を掴んで持ち上げられた部下は、泣き声をあげる。
「隊長が例の件で抗議に行ってる間に、帰っちゃったんです!申請書は書いたって!」
「申請書!?そんなもん、どこにある!」
隊長は結界をぶち破る勢いで駆け出し、整備員が慌てて解除ボタンを押す。
部署に駆け戻った隊長は、机の書類を引っくり返し、ようやく引き出しの裏にテープで貼り付けた申請書を発見した。
追いついた部下たちが青ざめる中、額に切れそうなほど血管が浮かべ、携帯電話を掴む。
「くぉらあああぁぁぁぁぁぁ!!!!馬鹿もん!!!!!」
コール音が途切れた瞬間、壁から標語の額が落ちるほどの大声で怒鳴った。
しかし返って来たのは『この電話は、現在電波の届かないところに……』と、淡々としたアナウンス。
あきらかに着信名を見て、電源を切られたのだ。
怒りにブルブル震える隊長の背後で、スピーカーが鳴った。
『第五部隊、出動要請!民家で飼われていたゴブリンが逃げ出し、暴れているそうです!マーガレイ通りに急行してください!!』
……どうしてあんな凶暴生物をペットにするのか、理解しがたい。
しかし、そんな問答をしている暇はなかった。退魔士たちは一斉に上着を羽織り、棚から各々の武器を手に取る。
斧に剣といった代物が多く、銃火器の類は少なかった。
大抵の魔獣や魔物は、普通の銃弾くらいではビクともしないからだ。ゾンビなど、身体を丸焼きにするか細切れにしない限り、しつこく襲ってくる。
かといって強烈な銃火器を、市街地でおいそれと使うわけにもいかない。炎に耐性を持つ魔物も多い。
結局、原始的な武器と身体能力での戦いが、一番有効となるのだ。
当然ながら、退魔士の身に危険は多く、殉職率は警察の十倍とも言われる。
教皇庁で、電動の武器もいくつか試作されたが、充電切れの心配もあり、あまり好まれなかった。
とりあえず、問題児へのお説教は後回しだと、隊長は舌打ちし、両の拳にナックルをはめた。
危険で割りに合わないと言われているが、この職に誇りを持っている。
都民の安全を守るため、危険生物は断固として駆除すべきなのだ。