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卑弥呼
【歴史 その他小説】

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卑弥呼-5

「はっ!して、我らは貴国のことを何と呼べばよろしいでしょうか?」
「なんと、そんなことも知らぬか? まぁよい。我らは魏(ぎ)と名乗っておる。今は亡き曹操様が礎を築き、曹否様が建国なされ、つい先頃煩わしい公孫氏を滅ぼしたところじゃ。」
劉夏は得意げに二人に説明する。
「そうじゃ。せっかくだから、都まで連れていってやろう。わしが手筈を整えよう。」
こうしてミコトら一行は魏国の都・洛陽へと送られることになった。
しかし、ミコトたちは知らない。魏のことが卑弥呼の予言に表れていたことを・・・。



(なんと広い道じゃ。これが大国の力か。)カルは口にこそ出さないが内心舌を巻いていた。
ミコトたち一行は陸路洛陽へと向かっている。帯方郡から楽浪郡まで徒歩で移動し、現在その楽浪郡から洛陽へと移動を開始したのだが、その官道が倭国と比べるとかなり広い。おそらく馬車も通行可能であろう。それほどまでに魏は国力を高めていた。そして、その名声を伝え聞いた各国が使者を使わしている。
倭国以外にも韓の国を始め、マレー半島や現在のロシアやアフガニスタンにあたる国々、果てはササン朝ペルシアなどからも使者が来ているというから、洛陽は国際都市と言えるかも知れない。

ちなみにこのころヨーロッパではコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認する時代に当たる。また、ササン朝がローマ軍に勝利するなどヨーロッパでも大きな動きが見られた。これらとは直接の関係はないかもしれないが、東アジアも大きく動き始めていた。

ミコト一行は現在の北京に当たる幽州を抜け、北から洛陽へ入った。
これより先、ミコトは難升米(なんしょうまい)という名を、カルは都市牛利(としごり)という名を与えられた。与えたのは劉夏である。「一応名らしい名も与えたし、大丈夫じゃろう。」と劉夏は一人悦に入っていた。しかしカルは(船に揺さ振られて、訳の分からんおっさんの相手をさせられて、挙げ句には妙な名前までつけられる・・・か。使者ってもんはつらいものだ)と心のなかでため息をついていた。

ここで物語の進行上断っておくが、漢字名は彼らが大陸にいるときに、カル・ミコトと言う名はその他の場面で用いることとする。


洛陽へ入った難升米一行はその姿に目を奪われた。
碁盤の目のように作られた広い道路。瓦ぶきの高層の楼閣。行き交う人々の見慣れない容姿。まさに国際都市であり、アジア一の都市と言える。

難升米らに付き添った役人曰く「数多くの使者がここに来ておる。しかし、そなたたちほどの苦労をしてここに辿り着いたものはそうはおるまい。何せ、海を渡って来たのだからな。それゆえ、帝は特別にそなたたちにすぐに会いたがっておられる。」とのことらしい。
とは言え謁見までは時間がある。ミコトとカルはその間宮殿や周辺施設を見学させてもらうことにした。
二人が案内されたのは、兵士の訓練場であった。
これはカルが希望したものである。ここでカルは役目を果たそうとしていたのである。そう、卑弥呼に命じられていたこの国の軍の在り方を学び、邪馬台国の軍事力を高めるということを。
広大な練兵場では騎馬隊の訓練が行われていた。
(こりゃすごい。もしこの騎馬隊があれば狗奴国など問題ではない。)とカルは内心舌を巻いていた。
この時代の倭国の戦争は歩兵による戦闘が中心であり、騎馬隊などはまだ用いられていない。そのため、カルには騎馬隊の印象が根強く残されたのである。
やがて訓練が終わり、馬は厩舎に収められた。カルたちは厩舎に近付き、中を覗き込もうとした。その途端−−。
「何奴っ!」と荒々しい声が響いた。ギクリとして振り向くと、そこには見るからに屈強そうな若い兵士が二人立っていた。いかにも武一筋で生きてきた。そんな感じの兵士達だ。


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