平凡容姿のハーフエルフ-3
店を出てローザと別れた時には、もう夜十時を回っていた。
空には大きな満月が出ていたが、地上が明るすぎるせいか、星も月もそれほど輝かない。
今夜は特に暑く、冷房の効いた地下鉄から降りたとたん、むわっと熱気がエメリナを襲った
週末だけあり、警察や教皇庁の退魔士《エクソシスト》が、あちこちでパトロールをしていた。
吸血鬼はウィルスが原因と特定され、ワクチンができたから、今では殆ど見かけないが、たまにどっと感染が広がる事もある。
普通の強盗や犯罪者は、もちろんそれ以上に危険だ。
数年前には、死霊使いの狂信集団が、ゾンビを使っておこしたテロ事件もあった。
犯罪も魔物も、《エモノ》の多い場所に、自然と集まってくるのだろう。
しかし、エメリナのアパートは明るい大きな通り添いで、この時間なら一人歩きでもそんなに物騒ではない。
玄関の鍵をあけようとした時だった。
(嘘っ!無いっ!?)
バッグやポケットを引っ掻き回しても、部屋の鍵は見つからない。
「あっ!」
不意に思い出した。
今日の帰り際、手が滑ってバッグの中身を床にぶちまけてしまったのだ。
店の予約時間が気になり、焦ってサイフなどをかき集めたのだが、あの時に回収した覚えがない。
(あ〜、どうしよう……)
携帯の画面で時間を見ると、すでに十時半すぎ。ここからギルベルトの家まで、徒歩二十分である。
いくら仕事場兼任とはいえ、家を訪ねて忘れ物を回収するには、非常識な時間だ。
ローザは彼氏の家に泊まりに行くと言っていたし、他に泊めてもらえそうな友人たちも、今夜は用事があると言っていた。
(はー、しょうがない)
ギルベルトがまだ起きている事を祈り、いつもの通勤道を小走りで駆けだす。
普段あまり飲まないお酒をジョッキ二杯も飲んだからか、頭がクラクラして息が切れる。
何度か途中でゆっくり歩くのを繰り返し、ようやく静まりかえった住宅街に着いた。
細い石畳の路地は、アパート近くとはうって変わり、夜の静寂に包まれている。
どの家も灯りが消えてシンと寝静まり、ところどころに設置された外灯が、長い影を作り出していた。
夏の夜風が家々の庭木をなびかせ、ビクリとエメリナは身をすくめる。
さっきまでいた都会から、異世界に放りこまれたような気になる。
ギルベルトの家も、灯りが消えていた。
(先生、寝るの早いなぁ……)
エメリナなら普段、この時間はまだ余裕でネトゲ中だ。
(それとも出かけてる?)
アンティークなドアベルを眺め、どうしようか躊躇っていると、不意に後ろから肩を軽く叩かれた。
「っ!!!!ぎゃぁ………むぐっ!!??」
大声で叫びかけた口を、大きな手が塞ぐ。
「しーっ!この辺はお年寄りが多いんだから、夜は静かにしないと」
「せ、先生?」
いつのまにか背後にいたのは、ギルベルトだった。
旧式な外灯のせいか、琥珀色の目は金色に光っているように見える。だからだろうか?なんだかいつもと雰囲気が違って見えるのは……。
「こんな時間にどうしたの?」
「あ、その……すみません。鍵を忘れちゃったみたいで……」
手短に事情を話すと、ギルベルトは小声で笑った。鋭い犬歯がちらりと覗く。
「なんだ、期待したのに残念」
「え?」
聞き返したが、返答の変わりに手を引っ張られた。
「おいで。玄関は閉めてあるんだ。庭から入ろう」