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「気がついたら俺は香澄さんの家にいた。雨に濡れた上着をハンガーにかけると、自然とそういう雰囲気になって、俺は彼女の唇を奪いにいった。その華奢(きゃしゃ)な肩を抱き寄せて、濡れた前髪を指で払った。彼女の瞳は潤んでいた。キスをする前にシャワーを浴びたいと、香澄さんは恥じらいながら言った。彼女が済んだら、入れ替わりで俺もシャワーを浴びた。そうして彼女の待つ部屋に足音をしのばせて行くと、俺の上着を探る香澄さんが目に入った。なぜだか彼女、俺の警察手帳をまじまじと眺めていたんです」
ここで沢田は視線を北条へ向けて、誰の入れ知恵でしょうね?と納得のいく回答を求めた。
もちろん北条はシカトを決めている。
今さらそんなことはどうでもいいかと、沢田はふたたび回想に入った。
「ついに彼女と交わる時が来て、俺が先に裸に、それから彼女が脱いだ。そこで俺は見ました、彼女の腹部に赤く残る痛々しい痣を。父親にレイプされた時にできたんだと、香澄さんは恨めしそうに言いました。この人を汚しちゃいけない、そう思いなおした俺は、そこから先の行為を辞退したんです」
「ほんとうに何もなかったと言うんだな?」
尋ねてくる五十嵐に対し、沢田の首が縦に動いた。
そして、
「そんな彼女が、自分の旦那を殺めるなんて真似ができるわけない。俺はそう信じたいんです」
これまでになく眉間を寄せる。
「花井香澄について、ほかに何か気づいたことがあったらしゃべっておくといい。君が彼女を思う気持ちに嘘がなければね」
北条が温厚な調子で促してくるので、沢田は負け惜しみっぽく微笑んでみせた。
「これは真面目な話なんですけど、香澄さん、アダルトグッズをたくさん持っているんだって、それを俺に見せるんです。寂しくなるといつも、そういう物に頼ってしまうそうです。父親に犯された経験のある彼女にかぎって、まさかとは思ったけど、旦那が亡くなる以前からたまに通販サイトを利用して密かに買っていたらしいんです」
「君はどうリアクションしたんだ?」
北条も真面目に聞き返す。
「いいえ、とくに何も……」
「なるほど」
「でも、なんていうか、いつも使っているにしてはどれも新品みたいに見えたし、一人で行為に耽っている香澄さんの姿を想像しようとしても、彼女の清純な雰囲気が邪魔して、どうしてもイメージが湧かなかった。おそらく彼女は嘘を言っている」
「君がそう言うのなら、多分そうなんだろう」
北条は聞き出す姿勢を変えないでいる。
「あと、花粉症を患っているんだと言っていたことがあったっけ。毎年この時季になると、市販の鼻炎薬を服用しているようです」
「それも一応、頭に入れておこう」
「俺から言えることは、大体それぐらいです」
言い終えたあとの沢田のため息は、部屋にいた皆の耳にまで届いた。
失恋した時の感傷に浸る青年のように、今の沢田はとてつもなく弱々しく見えた。