仇の地-1
達也の葬儀が終わって一週間がたった。
厚生省麻薬取締り官、港湾地区のアキラ達が抱えているヤマは、暴力団竜生会が捌いている覚せい剤の元締めの摘発だった。
竜生会が、外国人を売り子として使って捌いていることが今までで解明したことだ。
竜生会の内部でも、覚せい剤のことを知っているのは幹部数人だけだろう。
しかも竜生会は、ルートを提供しているだけで覚せい剤そのものを手にすることは一度も無く売り子に捌いているようだ。
竜生会と元締めの接点を見付けることが、何より困難であった。
達也が掴んだモノが一体なんだったのか。
今となっては聞き出しておけばよかったと悔やまれる。
所轄の達也の机や備品を整理した時も、めぼしいモノは何もなかった。
アキラ達のチームはやっきになって、達也の殺害されるまでの経緯を追ったが、さっぱりつかめなかった。
7月になり、梅雨にねっとりとした暑さが加わり始めた。
休みの朝、アキラは自宅のマンションでぼんやりと過ごしていた。
達也が亡くなって一ヶ月が経とうとしていた。
一緒に過ごした短い時間。
アキラが旅行に出立する前に一度だけ達也が、このマンションに立ち寄ったことがあった。
その時達也がジャケットを脱いだまま忘れていったものを形見のようにハンガーに吊ったまま、クローゼットに入れたままになっているのを思い出した。
ジャケットを取り出した。
久しぶりに達也の香りを嗅いだ。
溢れ出る涙がジャケットに落ちそうになり、慌ててぬぐった。
ジャケットに残る達也の香りが自分の涙で薄くなってしまいそうな気がした。
その時、抱きしめたジャケットの布ごしにポケットの中に何か入っているのを感じた。
探ると、名刺のようなものが出てきた。
“Bar 胡蝶蘭”
店名と電話番号が印刷されている。
その名刺の裏に手書きで名前が書かれている。達也の字に違いない。
“政男”
竜生会のナンバー1だ。
そして、名前の横に小さく“6日”と日付が書かれている。
名刺を持つ手が震えた。
あきらかに、何かがありそうな店だ。
明日、出勤したらすぐに捜査課長に報告しなければ。
だが、達也が見付けたこの謎めいた店をどうしても、みなより先に見ておきたかった。
達也から受け取った秘密を自分が確認もせず、みなに渡してしまうのがどうしても嫌だった。
その店は、倉庫街の港寄りにあった。
やっと日が暮れ出した午後7時、店の看板に灯りが燈った。
梅雨のあけ始めの特有の湿気をおびた蒸し暑さがただよっていた。
倉庫の片隅を改造して造ったような店で、入り口が階段を上ったところにあった。下から見上げるような感じである。
アキラは、店の入り口の階段が見える倉庫の角に立ち、客が入ってくるのを待った。
9時を回っても客は一向に入ってこなかった。
明日課長に報告してからの捜査になるだろう。
アキラはこの場を離れようとした。だが、中がどんな造りになっているのかくらい、確認したほうがよいのではないかとも思い始めた。
いざ、踏み込んだときのためにも、一度中を見ておくほうがよいのではないか…。
アキラはゆっくりと、錆び付いたはしご階段を上っていった。
重い鉄の扉を開けると、下り階段になっていた。
狭い梯子階段の先にカウンターの一部が見えた。
思いのほか明るい光がさしているので、少し気が軽くなる。
階段を降りる途中から、だんだんと店の中全体が見えてきた。
カウンターだけの店で、中にアキラより少し年上にみえる女性がいた。
セミロングの黒髪で、眉の上で真直ぐにカットしていた。
ややキツネ目のきりっとした顔をした美人だった。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか」
一度ふせた目を再びあげて、アキラをまっすぐ見据えて言った。
「いえ、あの待ち合わせで…」
咄嗟に出た言葉が不自然だったかもしれないと、アキラは上目遣いで女性を見た。
カウンターの美女は少し微笑んだように見えた。突っ立ったままのアキラの前のカウンターに一枚、もう一枚をその隣へコースターを二人分置いた。
「先に何かお召し上がりになりますか」
あらかじめ来る事を知っていたような滑らか応対にアキラは、たじろぐ。
「あっ、いえ、来るのを待つわ」
女性は軽く会釈して、用意した水の入ったグラスをアキラの前に置いた。
それから、少し離れた場所で氷を砕き始めた。
アキラは、席についてからようやく店内を見回した。
入り口の梯子階段と鉄のドアとは一変して、店内はウッディな雰囲気で統一されていた。カウンターを囲むように10席ほどの客席があった。
席について落ち付きを取り戻してくると、先ほど自分が言ったセリフが全く空々しいのに気がついた。
初めての店に女である自分が先にきて待ち合わせとは、不自然ではないだろうか…。
カウンターの女性に怪しまれやしないだろうか。
アキラは目をあげて、女性のほうを見た。
氷を砕いていた女性は、ゆっくりと顔をあげてアキラを見た。そして、ニッコリと微笑んだ。
「あの、やっぱり先に飲んでます。水割りを、水割りでいいです」
「はい、水割りですね」
女性店員は何も疑問に思っていないようだ。
ホッとして、水を一口飲んだ。