に乃花-12
「ここですか?」
私は身を引いた。
彼女が立ち止まったそばのドアに『分娩室』と表示されている。
美しい看護師は無言の笑顔で二重扉をくぐり、私もあとにつづく。
「はじめまして、この病院の院長をやってます、泉水守人です」
まばゆいほどの白い部屋の、まさしく分娩台のすぐそばで、白衣姿の医師らしき人物が名乗った。
取り巻きのスタッフをはじめ、泉水陽真医師や佐倉麻衣の表情にも緊張が見える。
院長の存在がそうさせているのだろう。
寝癖なのかパーマなのかわからない頭髪に、無精髭、それに白衣の下のシャツは、けっして清潔とは言えないほど薄汚れている。
白衣を脱げばホームレスそのものだと思った。
私はとりあえず椅子に座った。
「それで、検査の結果は?」
「うちの若い医師の検査手順に問題はありませんでした。しかしですね、もう少し詳しい検査をする必要があります。これはけっして強制ではありませんので、どうするかは小村さんしだいというわけです。いかがですか?」
「どこがどういけなかったのか、教えてください」
「じつは、子宮内膜に小さな炎症のような陰が見えました。将来、妊娠を望んでいるのであれば、そういった不安材料は今のうちに取り除いておくべきです」
もっともな見解だった。
医師の診断は絶対であり、断る理由もとくにない。
「お願いします」
私は、右手のハンカチを握りしめて、再検査を承諾した。
乗りかかった舟にどんな仕掛けがあったとしても、まわりは見渡すかぎりの海だから、流れのままに身をまかせるしかない。
「そこへ上がってください」
院長が分娩台を指す。
私はそれに従った。
さっきの内診台よりも大型で、その隣では、見覚えのある医療機器がスタンバイしている。
私は大勢の前で下着を脱ぎ、台の上で脚をひらいた。
全員の視線がそこに集中する。
「高嶺の花も、色恋の微熱にまどわされ、大樹の陰に蜜が滴る」
そうしゃべったのは院長だった。意味はわからない。
「土壌はよく肥えているのに、肝心の種子が見当たらないというのは、持ち腐れとしか言いようがない」
その台詞には聞き覚えがあった。
名見静香がホームレスから聞いたと言っていた言葉が、それだった。
いずみ記念病院の院長、泉水守人こそがホームレスだった。
彼がなぜホームレスの恰好をして私を監視していたのか、それは本人にしかわからないことだ。
みんなが口をそろえて「会わないほうがいい」と言っていた人物と、私はこうして会っている。
そして、子宮を彼らに捧げる行為がこれからはじまる。