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特に、何も……
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特に、何も……-10

 めったに買わない高級なカップアイスを買った。これはカラメルとナッツの粒が入っているまろやかな甘さで、いつも食べている百円の物とは格段にちがう。保冷剤をいれてもらったけど午後の猛暑ではすぐ溶けてしまう。自転車の籠に入れて私は急いだ。

 インターホンを押して、中野さんが出たら声を変えて配達人のふりをしようと思った。ドアが開いたらびっくりするだろう。

 応答がない。もう一度押す。
(おかしいな……)
留守なのかと思ったけど、電気のメーターはかなり速く回っているからエアコンを使っているのだろう。近くならつけたまま出かけることもあるかもしれないけど。

 電話をかけてみた。中から呼び出し音が聴こえる。やっぱりいないのかと考えながら、もしかしたら倒れたりしてるんじゃないかと不安がよぎった。独居の老人には時々ある。
 私は走ってベランダ側へ回った。一階だから手すりをよじ登って越えれば中の様子がわかるかもしれない。
(会社へ知らせたほうがいいか)
いや、まずい。何で私が休みの日に利用者さんの家に行く用事があるんだ。言い訳ができない。

 ベランダの下へ行くと声が聞こえた。水の音もする。小さな窓の場所はお風呂場だ。
(なんだ、お風呂に……)
ほっとした直後、会話をしていることに改めて気づいた。
(誰?……)
それは、『あの女』だ。はっきりと関西弁。私は身を硬くして耳を欹てた。

ーーさっぱりしたやろ。背中流すと気持ちいいんやで。
ーーうん。いいね。
ーーこれで冷えたビール飲んだら最高や。
ーーはは。昼間っからビールか。
ーー昼間も何もないわ。飲みたい時に飲むのがうまいんや。
ーーふふ、そうだね。

(まさか、一緒に入ってるの?)
動悸が高鳴った。
 いつの間にかベランダの手すりに顔を寄せているのに気付いて慌てて辺りを見回した。傍から見れば不審者に見られかねない。でも、そこから動けなくなってしまった。

 シャワーの音が止んだ。ドアの開く音。
ーー着替えここに出しといたから。
ーーありがとう。
ーー拭いてあげよか?
ーーいいよ。それは自分でできるよ。
ーー遠慮せんと。
ーーいやいや。ほんとにそれはいいから。
ーー恥ずかしいん?
ーー何を言ってんの。
ーーほら、前向いてな。
ーーいいって。
ーーあら、変になってる?
ーーなってないよ。ふふ……。
中野さんの声は妙にこもった声だった。

 私の気持ちは混乱していた。いままで経験したことのない感情の渦巻きが激しく心をかき乱して、どうやって帰って来たのか憶えていない。気がついたら部屋のベッドに座っていて、アイスクリームを自転車の籠に置いたままだった。
 


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