ウロボロスの繁殖-3
シャルは夜泣きもせず、やたらにぐずったりもしない。
サーフィが乳母車に乗せて買い物に出かけると、近所の奥さんたちは大人しくニコニコ笑っている赤子に
「まぁ、なんてお利巧さんなの」
と、絶賛してくれるそうだ。
いつも行く店では、到着するとガラガラを振って店員たちに知らせ、ちょっとした名物になっている。
可愛らしさ百点満点のシャルロッティだが、むしろヘルマンにはそれが不自然に感じた。
赤ん坊というのは、場の空気など読まず、もっとワガママで手のかかる存在なのだ。
そして決定打は先日、市場に親子三人で買い物に出かけたとき。
やはり通りすがりの奥さまやおばあさんたちに、シャルは愛想をふりまき、可愛い可愛いともてはやされ、リンゴやお菓子を大量に頂いていた。
その時、ヘルマンは見てしまったのだ。
乳母車にできた戦利品の山の陰で、シャルがこのシニカルな笑みでほくそえんでいたのを。
『ふふっ、ちょろい』
表情は確かにそう語っていた。
ヘルマンと目が合うと、一瞬でその笑みはいつものあどけないものに変わり、無邪気に指をしゃぶって見せた。
その後、注意してシャルを見張っていたが、一度も市場のようなそぶりは見せなかった。
しかし二人きりになり、遠まわしに指摘したことで、開き直ったらしい。
シャルが縫いぐるみから綿を引き摺りだし、「チッ」と小さく舌打ちしたのが確かに聞えた。
(君の言いたいことはわかりますよ。僕も赤ん坊の頃、やった覚えがありますのでね!)
ベッドの柵に掴まり、ショックで倒れそうな身体を必死に支える。
きっと中身がきちんと臓器の形をしていなかったのを、手抜きだと内心で罵ったのだろう。
さすがに産まれた直後までは覚えていないが、今のシャルくらいの頃からは記憶がある。
離宮の一室で乳母に育てられたが、与えられた幼稚な玩具を鼻で笑い、中身が気になったものは即座に分解した。
「シャル。ぬいぐるみの中身はそれでいいのです。
破けて出た中身がリアルな臓物でしたら、一般的な子どもは骨格や生態を知ろうとする前に、ショックで大泣きしますのでね」
「ぷー」
シャルはつまらなそうに溜め息をつき、あっという間に見るも無残な姿にした縫いぐるみの残骸を、柵の間から床に落として捨てた。
自分のベッドが散らかるのは嫌なのだろう。綿くずも丁寧に全部ボロボロと床へ押しだした。
「ん」
片付けといて。と言うように、カーペットに出来たボロくず綿の山を指す。
『うっわ、まさしく君の子』
子ヘルがゴクリと唾を飲み、ヘルマンはうな垂れる。
彼とて若気のいたりや失敗はあった。
できれば消したい過去の一つや二つも持っている。
この年齢当時、まだ自分を客観的に見るまでは至っていなかったが、傍からみるとこんな赤ん坊だったのか。
――正直言って、可愛くない。
実に可愛げのない姿。
しかも顔立ちが整っているだけに、小憎たらしさが倍増する。
その昔、乳母が幼い自分を放置し、引きつった顔で田舎に帰ってしまった理由が、なんとなくわかったような気がした……。
天井を見上げ、思わず遠い目になってしまったヘルマンだが、小さな異音に我に返った。
「シャル!!」
小さなバターナイフを手にしたシャルが寝返りを打ち、ベッド柵の隅で何か熱心に作業している。
おそらく台所で抱っこされている間にサーフィの目を盗み、布団の下に隠しておいたのだろう。
ガタンと音をたて、ベッドの柵が一部落ちる。
シャルはナイフの先端をベッド柵のねじ穴に差込み、せっせと回していたのだ。
ベビーベッドからの脱走。
これも、嫌と言うほど覚えがある。
離宮にも衛兵はいたから、たいてい廊下を這いずっている途中で回収され、真っ青な顔をした乳母は壊れたベビーベッドを前に途方にくれていた。
その昔、乳母が……以下略。