まさかの自由研究-3
「あれ?花の匂いがする」
理人が気づいて横を向くと、さっきカウンターで見かけた女性職員がすぐそばを通り過ぎるところだった。
花の名前までは思い出せないけれど、とてもいい匂いだと思った。
「化粧の匂いだろ。香水だっけ?」
「シャンプーとかリンスかもな」
「うちの安物のやつとは違う匂いがする」
それは理人たちが新聞デビューを果たしている最中、ときどき、やはり彼女が近くを通るたびに香ってくる。
年頃の男性らの視線はというと、もれなく彼女の姿を捉えている。
魅惑の香りというやつだ。
「おれ、ちょっとトイレ」
スポーツ面を見ていた運動神経抜群の健太郎が、落ち着かない様子で席を立った。
「家でちゃんと出して来いよ」
「違うって、おしっこだよ」
トイレ、トイレ、と何回も口にしながら、健太郎は読書スペースをあとにした。
カウンターに立っていたのは、さっきの女性とは別の職員だった。
廊下に出たところで、緊急事態はさらに健太郎の膀胱をジワジワとふくらませる。
もう、1秒だって無駄にできない。
「あった、ギリギリセーフ」
ダムが決壊する寸前に用を済ませることができて、健太郎はホッと安心した。
手を洗ってトイレを出ると、芳香剤の香りがまだ鼻の奥に詰まっていて、そこに新しい花の匂いが混じる感覚があった。
あの匂いだ、と思った瞬間、
「ボッチくん、だよね?」
背中から女の人の声がしたので、健太郎が即座に振り返る。
「あ……」
最初にカウンターで見た、あの若い女性職員がそこに立っていた。
「お姉さん、どうしてぼくのあだ名、知ってるの?」
少年の素朴な質問に対して、彼女はもっともな表情をしてから、目を細めて微笑んだ。
「だってきみたち、あんなに大きな声でお話してるんだもん。お姉さんにも聞こえちゃったよ」
黒くて長い髪のあいだから小ぶりな耳がのぞいて、そこに小さな花の飾りがついているのが見える。
ピアスとかいうやつだなと、健太郎はちょっぴりドキドキしながら彼女を見つめた。