看病ノススメ-1
鉄格子で区切られた奇妙な閨に、ミスカの行儀手本として放り込まれてから数週間。
ある日、やけに鼻がムズムズしてくしゃみが出た。
「くちゅんっ!」
鉄格子の向こうで、ミスカが目を丸くした。
「おい。もしかして今の、エリアスか?」
「その、もしかしてですよ」
鼻をかみ、エリアスは不機嫌に答える。
鉄格子で半分に仕切られた奇妙な同棲部屋。こちら側はエリアスの住居兼職場で、あちら側はミスカの反省室だ。
今は他に誰もいないのだから、ミスカでなけれえばエリアスのくしゃみに決まっているではないか。
「だったら何だと……へくちっ!」
止めようもない生理現象に、ミスカが爆笑する。
「すげー可愛いクシャミ!」
無礼者をギロリと睨み、エリアスはフイと顔を背けた。
エリアスはミスカが大嫌いなので、不要な会話などしたくない。
少し前まで、ミスカだって露骨にエリアスへ不快感を露にしていたクセに、なんだってこんな風に絡むようになったのだろう。
あんまり腹をたてたせいか、頭まで痛くなってきた。
(最悪です!)
「……エリアス?」
ふと、ミスカが笑うのを止め、こちらを凝視した。
「お前、なんか妙に顔色悪くないか?」
「は?」
ガンガン痛むこめかみを片手で押さえ、苛立ちながらミスカを睨む。
「貴方には関係ございませんでしょう」
吐き捨ててから、一瞬ギクリとした。ミスカが傷ついたような顔をしていたから。
鉄格子の向こうから伸ばされかけた手が、叱られた子犬のように引っ込む。
「……少し、眠ります」
急いで視線をそらしてベッドに飛び込み、掛け布を頭まで引き揚げた。ミスカに背をむけ、身体を丸める。
今度は妙な寒気が全身を蝕みはじめた。頭は火のように熱いのに、寒くてたまらない。
室温はいつもと同じはずなのに、寒くてガチガチ歯が鳴る。
完全に風邪だ。
作品たちは、比較的身体を丈夫に作られているが、それでも時おりは体調を崩す。
救護室に行けば薬を貰えるが、起き上がる元気もなかった。何より布団から出て、ミスカと顔をあわせたくない。
ぎゅっと目を瞑り、両手を身体に巻きつけ震えを抑えようとした。
瞼の裏から、さっきの表情が消えてくれない。
どんなに冷たくあしらっても、いつだってヘラヘラ笑っているクセに。
(ミスカのクセに、そんな顔しないでください!)
強大な魔力と、作り主からの期待。
何でも持っているその手で、これ以上何が欲しいと欲張る!?
――そのまま眠ってしまったらしい。
チクンと腕に痛みが走り、目を開けると、不機嫌な顔のツァイロンが視界に飛びこんだ。
どうやら腕に風邪薬を注射されたらしい。
「風邪なら早く言え。緊急時には出ても良いと言ったはずだ」
「も、申し訳ありません」
熱のせいか、ひどく頭がボンヤリする。どうしてツァイロンがここにいるのか理解できない。
「今日と明日は休養しろ。薬はこれだ」
サイドテーブルに薬包をいくつか置き、ツァイロンは立ち上がる。
「はい……ありがとうございます」
薬包がやけに嬉しい。
プライドの高いツァイロンにとって、エリアスは手をかけたあげくの失敗作という、我慢のならない存在だ。
いっそ即座に廃棄してしまいたいほどだろう。
しかし、エリアスの身体も知能も閨での性能も、無機質な玩具で遊ぶ目的だけなら、十分すぎるほど主たちを満足させられた。
『元』が取れるくらいまでは、せいぜい生かしてやればいいじゃないか。
他の主たちから、そう説得され、しぶしぶ了承したが、風邪くらいでわざわざ来てくれる事はないと思っていた。
ツァイロンは部屋を出る際、エリアスの背後へちらりと視線を向け、わずかに口元を歪ませた。
「ミスカ。わたしを呼びたい時は、もう少し丁寧に人へ頼め。ティルム主が激怒していたぞ」
「……?」
振り向けば、鉄格子の向こうでミスカが憎らしげにツァイロンを睨んでいた。
パタンと扉が閉まり、ようやくエリアスが口を開いたのは、たっぷり十分以上は経ってからだった。
「ツァイロンさまを、呼んでくれたのですか?」
「呼んでねぇ」
ミスカは自分のベッドに胡坐をかき、顔をしかめてソッポを向く。
「お前目当てに来たヤツを、思い切りバカにしてやっただけだ。そうしたらソイツが怒って、勝手にツァイロンを呼びに行ったんだよ」
「……そうですか」
そんなところだろうと思っていたが、やっぱり。
エリアスはミスカが嫌い出し、ミスカも本当はエリアスが嫌いだろう。
同じ部屋に住んでいても、一緒じゃない。
独りと独りなら、どこまでいっても二人ぼっちだ。
さっきの注射が効いてきたのか、強い眠気が押し寄せてきた。
横たわり、目を瞑る。
うとうとまどろみながら、やっとの思いでもう一度口を開いた。
「しかし、結果的には助かりました……ありがとうござい……ます……ミスカ……」