唐突-9
チャイムが鳴った。コーヒーが届いたようである。
菜穂子は藤沢のいる応接の客間のようなリビングに戻った。
「小西さん、今日もお逢いできて本当にうれしいです。私のわがままに付き合ってくださり
感謝いたします」
藤沢は改めて深く頭をさげた。
「いえ、やめてください。私にそのように頭をお下げにならないでください。何もしてさしあげてもいないのに
戸惑っています」
「小西さん、いや、今日は菜穂子さんとお呼びすることをお許しいただけますか」
神妙な面持ちに菜穂子は小さな声ではいと答えて頷いた。
「菜穂子さん、こうして貴女と二人で過ごす時間を持てるのは今日で3度目です。本当にうれしかった。
前回は思いもよらず貴女のほうから口づけをしてくださった。こんな私を哀れに思ってのこととは思いますが
本当にうれしかった。貴女を近くに感じ貴女の香りは今も思いに留めています。幸せな家庭を持たれる貴女に
私の勝手で一方的な好意を抱くわがままを、貴女は受け入れてくださいました。不審に思われ、気を悪くされるのが当然でしょうに
貴女は私を憐れんでくださった。いいえ。そうです。そうでしかありません。貴女の優しさ、情の深さのゆえです。
私はもう思い残すことはありません。この人生で愛おしく思う女性ともめぐり合うことができました。
菜穂子さん、貴女にお逢いできるのは今日が最後になります。」
え・・・?と菜穂子は藤沢と目を合わせた。
「今日の会議で後継の引き継ぎも無事終了いたしました。私の社会への貢献はおかげさまで無事に完了いたしました。
私は昨年に病気をしたと申し上げましたが、その時に余命を宣告されておりました。手術をしたとしても延命に過ぎません。
むしろ、命は延びても手術により体力を奪われて結局は病院で長い時間生かされている状態になるのを望みませんでした。
私には仕事が残されておりましたので、手術をしないで自分で生きる時間を、たとえ短くても成就したいと選択しました。
それも、そろそろ日常のように・・・というわけにもいかなくなってまいりました。
自宅マンションを引き上げて、今月中にホスピスに入ります。病院ではなく、治療もなく過ごせるところです。
おかげさまで金銭に困りません。むしろ残す者もなく困るほどです。会社の持ち株は役職以下の全社員に臨時として分配して
もらうように手配しています。自宅を売却したものと手持ちの資産はすべてホスピスに渡す予定です。私が死んだ後に残ったぶんは
ホスピスに寄付します。私のように恵まれた者だけでなく一人でも多くの方が、自分の死に場所を病院でなく自然な環境で過ごせるように。
「そんなに、お悪いのですか」
菜穂子はそういえば、月に一度逢うたびに少し痩せられたように感じたのが暑さのせいだけではなかったのだと理解した。
「いえ、おかげさまでまだ大丈夫です。でも、もうこれからは坂を転げ落ちるように衰えていくでしょう。心配なさらないでください。
私は本当に思い残すことなく幸せで、感謝しているのですから。ホスピスの生活も快適だと思います。私はたとえ死ぬまでの間
何もすることがなくベッドに横になっているだけの日々がどれだけ続こうとも、いや、実際は短いほうがありがたいくらいですが
貴女のことを思い浮かべるたびに幸福に満たされる自信があります。だから、不安はありません。」
「藤沢さん、そのように言ってくださる私はいったい、藤沢さんに何をしてあげられるのですか」
「菜穂子さん、こうしてそばにいてくださる。貴女と二人の時間を過ごしている。これ以上の幸福がありますか」
「私の何が、どこが藤沢さんのお気に召されているのかわかりません。きっと、何か大きな勘違いをされていて、むしろガッカリさせてしまう
のではないかといつも、今も思っています。でも・・・それでも、今日がお逢いできる最後であると決めておられるのであれば・・・。
藤沢さん、どうぞご遠慮なく私をお好きになさってください。」
菜穂子は藤沢に近づいて、そっと寄り添った。
「ありがとうございます。菜穂子さん」
しばらくうつむき加減に目をつぶって何か考え事をしている様子を見せたあと、藤沢は菜穂子の手をとり立ち上がった。
菜穂子も黙って藤沢に従った。
二人はキングサイズのベッドルームに入って、ドアを閉めた。
「菜穂子さん、貴女の素の姿を目に焼き付けさせてください。」藤沢はそういうとベッドのカバーを取り除けて腰をかけた。
菜穂子は、静かに服を脱いでいった。
ブラジャーとショーツになったあとはしばらく立ちつくしていた。