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目端の涙を拭い鼻をすすった時、勢いよく扉が開く音がした。
「サーフィ!」
「?」
心なしか上擦ったヘルマンの大声に、サーフィは布団からそっと顔をあげる。
ヘルマンのこんな大声を聞いたのは初めてだし、いつでも完璧に礼節正しい彼は、家の中でもノックをせずに駆け込んでくるなど、ありえなかった。
しかし、そんな細かい疑問を気にする暇もなく、布団を引っぺがされ、抱き締められた。
ヘルマンはそのまま何も言わず、しっかりと抱き締められたまま。サーフィの不安はますます強くなる。
耐え切れずゴクリと唾を飲み、震える声で尋ねた。
「私……ひどい病気なのでしょうか」
「――は?」
ヘルマンが身体を少し離し、唖然とした顔をする。
「さっきから貴方の様子が変ですし、もうすぐ死んでしまうとか……」
そう言った途端、いつも冷静なアイスブルーの瞳に、キッ!と怒気が走った。
「とんでもない!君は妊娠しているだけです!」
今度は、サーフィが目を丸くする番だった。
「にんしん……?」
そういえば先ほど、月のものがきちんと来ているか、など聞かれた事を思い出す。
未完成なホムンクルスだったサーフィは、完全体になるまで生殖能力がなく、バーグレイ商会の護衛となってしばらくしてから、始めて月のものが来た。
あの時も、突然の出血に慌てふためき、大笑いされたものだ。
そうやって初潮が遅すぎたせいか、この二ヶ月ほど、あの面倒な出血がなかったのに気付かなかった。
「それでは……あの、つまり……」
無意識に手を下腹部に添える。
ここに、ヘルマンと自分の子どもが宿ったということになるのか。
別段変わったようにも見えない体を眺めていると、ペタンと座り込んだ膝元に、何かキラキラ光る冷たいものが落ちてきた。
「!?」
視線を上向け、ぎょっとする。
アイスブルーの双眸から、細かな細かな氷の粒がパラパラと舞い落ちていた。
目端から零れた細かな氷の粒は、ヘルマンの頬を転がり落ち、サーフィに触れると一瞬で溶ける。
呆然としていると、もう一度抱き締められた。
体温が上がっているせいか、いつもよりヘルマンの身体がひんやりと感じる。
「すみません。身体を冷やすのは良くないと、わかっているのですが……少しだけ」
サーフィは夢中で頷く。
恐怖から一転、驚愕を経てじんわりと喜びが体中に満ち溢れていく。
何より、こんなに不器用に歓喜を露にするヘルマンなど、たとえ不老不死を得たとしても、この先何度も見れるものではないだろう。
「錬金術など……」
サーフィの肩口に顔を埋めたまま、稀代の錬金術師でもある、へそ曲がりな氷の魔人は、少しだけ皮肉っぽい口調で、苦笑交じりに呟いた。
「そんなものを使わずとも、大昔から人間は、たった十ヶ月間で命を創造しているのに……」
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「――ふぅーん。あのお父さまが泣いたの」
子ども部屋のベッドで、シャルロッティは左右の色が違う目をパチパチさせる。
ただいま夜の九時。フロッケンベルクの一般家庭では、五歳児の就寝時間はとっくにすぎている。
「内緒よ」
つい話しすぎてしまったと、サーフィは慌てて唇に指をあてる。
「わかってるわよ」
ちゃんと心得ている、とシャルは頷いた。
眠る前にベッドで絵本を読んでもらう……は、一歳で卒業した。
どうせならオチが見えている絵本より、もっと面白いのを読んで欲しいと、父に錬金術や薬草学の本を読んでもらいながら寝るのがシャルの習慣。
そして本日は解剖学だったが、母は寝物語りにカエルの解剖などあんまりだと本を取り上げ、代わりにシャルが産まれた時の話をしてくれる事になったのだ。
母が話し始めるやいな、父は心なしかビクリと肩をすくめ、さっさか退散していったが、そういうことか。
シャルは内心でニヤニヤする。
腹が立つほどパーフェクトなうえ、へそ曲がりでカッコつけなお父さまにも、可愛いとこがあるじゃない。
カエルの臓器よりよっぽど面白かったお話に満足し、シャルは小さな欠伸をして目をつむる。
頭の中身はまるで子どもらしくないと言われても、身体はちゃんと五歳児だ。
とろとろと眠りに落ちながら、氷の涙を零して喜んだ父の顔と、その想いを想像する。
きっと彼は、とてつもない達成感を味わったに違いない。
差し引きゼロでなく、純粋なプラス1。
完全なる純粋な生命の創造に成功。
終